71回目の終戦記念日 〜毎度ぐるぐる考える〜
△夏空を見上げて、今年も終戦記念日を迎えました。
この夏はチーの体調もよく、おかげさまでステロイドを10mgから9mgに減量しました。これからは一ヶ月ごとに定期検査をしながら、慎重に薬を減らして行く事になります。うまくいくといいですが、再発したら…またその時考えるとしましょう^^;。
日本の夏には、広島、長崎、終戦記念日…と、嫌でも振り返る機会がありますね。こども達も大きくなって来て、戦争についてなど話すことも増えて来ました。私の祖母のお兄さんが戦死されているので、私たちがギリギリ繋がっている世代だと思います。
戦争についてあまり多く語らなかった祖母ですが、孫達が随分大きくなってから一緒に知覧の特攻資料館に行った時の様子を見て、あぁ、ばあちゃんにとっては戦争は終わる事がないのかもしれないなぁ…と思ったのを覚えています。
今こどもと暮らして、もう二度と会えないかもしれないのに「バンザイ!」と笑顔で送り出さなければならなかった戦中の母たちと同時に、戦争で孤児になった方達の戦後のシビアさを想像します。
被害の大きさ、戦後の大変さ、生の声を聴ける機会は70年を超えた今、だんだん減って行くでしょう。でも、知らないうちに大事な事が決まっていて、何だか分からないうちに隣の人の思想を見張り合うような、そういう怖さこそが戦争の足音だったのかもしれません。それを、想像力を持って近くに引き寄せる事は出来ると信じています。
多様性の真逆にあるのが、お互いの正義のぶつかり合いでしょう。2年生の息子に「日本だけが絶対に戦争をしないって決めれるの?他の全部の国が戦争をしてても?」と聞かれました。「だいたい悪い人かどうか、どうやって見分けるの?」…ほんとだね。世界は全部繋がっていて、日本だけが…ってのはなかなか難しいんだ、でも、誰かと誰かの間に入って、お互いの話を聞いてそんなこと止めなよ…っていう役割は出来るかもしれないね。と言うと「なんだ、ケンカと一緒じゃん」…ほんとだね。
大人たちは、いつまでもどっちが悪かったかの話ばかりしていないで、次の世代に多様な価値観の共存が出来るかどうか、本気でチャレンジする姿を見せないと…ですね。違う考えの人を否定して論破する方法じゃなくて、お互いが本当に大切にしている物はなんなのかを、礼儀をもって健全にディスカッション出来るといいなと思います。ネット社会に生きる次世代のこどもたちには特に必要なスキルになるでしょう。
毎度、ぐるぐる答えの出ない繰り返しですが、年に1度先祖の皆さんに手を合わせて「道を誤らないよう、見守って下さい」とお願いするのは自分にとって何か大切なジンクスのようになっています。
日本だけでなく、世界の子ども達が安心して眠れる世界にして行けますように。
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