はまねこ&チー MGぐるぐる日記

2歳目前に小児MGを発症した娘と4歳から吃音の息子、その家族の日々です

子どもが学校で「死ね!」と言われたら 〜心無い言葉について考える〜

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△空は秋晴れ、気分はブルー

 

過激なタイトルでごめんなさい(笑)。

 

これは先日中1の長女に起きたことで、かなりぐるぐる考えた内容です。ざっと説明すると、学校の体育祭で運動が苦手な長女が混合リレーの選手になってしまったのです。はじめはもっとゆるい競技にエントリーしていたのですが、みんなが責任のかかる競技を避けてしまったため、やる人がいなくて嫌々ながらやることになってしまったのです。

 

まぁ、引き受けてしまった以上、そこは仕方ないですね。本気で嫌なら最後まで意思を通して断り続けるべき…という言葉も聞こえて来そうです(笑)。本人も引き受けたことをどうこうは思っていなかったのです。

 

ただ、案の定というか…当日どんどん抜かされてしまって。始めに渡してもらったバトンから随分順位を下げてしまったのです。 タイトルは、そこからのチーム男子からの言葉になります。「お前のせいで負けたんだから土下座しろ!」「死ね!」と二人の男の子に何度も石を投げられた…としょんぼり帰って来ました。

 

うううーん。

 

むむむむー。

 

こーれーはー!

 

…正直、私はビックリしてしまったのです。競技に負けたことで、一人の子に対して謝罪を要求するんだ!?…これって「負けて悔しいこと」から逸脱していませんか?もし「もっと走る練習しとけよ」とか「お前のバトン渡し全然ダメだったなぁ」とかなら、こんなに驚かないと思います。 長女も自分が走るの遅かった…という事実は嫌という程分かっているので「ごめんね、順位下げちゃって。私が遅かったから負けちゃったね」と謝ったそうですが、聞き入れてもらえず。

 

「もうこれは泣くレベルの酷さだ、泣いちゃいそう…。だけど、泣いたら相手は喜ぶだけだと思って我慢したんだ」と。

 

短いセンテンスでのやり取りに慣れている今の子どもにとっての「死ね!」という言葉は軽いのかもしれません。が、少なくとも私たち世代にとってのその言葉はかなりのインパクトがあります。それに、軽いからって使っていいよと言える言葉ではありません。それに、ど、土下座って…何に対して??

 

さてはて。この出来事について、どう捉えたらいいのか…。さすがに気にしないでいいよ、という話ではないですもんねー^^;。聡悟が怒って「ムカつく!ぶっ飛ばしてぇ!」と言うも、即座に「あんたなんて逆にやられるわ…」と(笑)。

 

その場では「そうかぁ、それはひどいねぇ。そんなこと言われちゃうんだ…」とずっと話を聞くだけでしたが、明け方目が覚めてぐるぐる考え始めたら眠れなくなってしまい、思ったより自分がショックだったんだ、と知りました^^;。

 

ただ、正直、大人として話そうという時に、相手の男の子に届く言葉が見つかりません。直情型の私の母が聞きつけたら、速攻で怒鳴り込みそうですが(今日の朝、それを想像して長女とひとしきり笑いました。「おい!家どこだ?!ぶっ飛ばしてやる!お前が土下座しろ!」って言うよね、きっとって…笑)、直情型の母を反面教師にしすぎたせいか、私には突発的に怒る…ってスイッチがないのです。

 

同じように去年の運動会で長女のことを記事にした

 

hamaneko13.hatenablog.com

を思い出していて。これは組み体操で相手が受けてくれなくて失敗ペアになってしまった話ですが、彼女は相手の子を責めなかったなぁ…と。なんの違いなんだろう?と考えてみたのですが、多分「想像力」なんじゃないかしら。出来ないことにトライする相手がどんな気持ちでいるのか、それを想像することが出来たなら、一方的に責める気持ちは湧いてこないんだと思います。

 

それを考えたら、自分の子どもながら(ああいうところは良い個性だなぁ)…と思ったし、そうやって生きてたって、こんな目に遭うなら損するばっかりだ…なんて思って欲しくないなぁと。つまり、誰かの手で良いところを失くして欲しくないですよね。 最低限、分かっていて欲しいのは、教室や狭い場所ではそういう生き方で相手を打ちのめすのが勝ち組のように思っているかもしれないけど、長い目で見たらやっぱり想像力と優しさを持っている人の方が魅力があるということです。ママはそう思ってるし、周りを見ても実際そうだよ、って話をしました。今は難しくても、いつか届くと良いなーと願いながら。

 

意地悪な相手を変えることは出来ないし、そこまではこちらの仕事ではありません。ぶつけられたストレスボールが黒ければ黒いほど、ついこっちも染まってしまいそうになりますが、自分の中に息づくピカピカした本来の輝きみたいなものをいかにくすませないで、汚さないで生きていけるか。これは大いなるチャレンジと言えるかもしれません。

 

これから同じようなことが周りで起こった時に、相手を責める前にどうしたら良かったのか(そもそもリレーの選手選びから問題があったんじゃないか?と思ったり…)考えることが出来たなら(たとえそれがあの男の子だとしても…)、辛い経験に勝ったと言えるのかもしれません。

 

「いじめられる方にもどこか原因がある」…というのが一般的な論理ですが、私は何度同じことを聞かれても「ぶつけられる方の問題ではない。ぶつける方が弱い!」と答えたいです。集団の意識や教室のパワーバランスに抗うのは、本当に気力のいることです。でも、本来ありたい自分から離れないでいるために踏ん張るのは、生きる上でとても大切だと思います。

 

残念ながら、大人になっても意地悪な人や相手によって態度を変える人はいます。社会にも、勝ちだ・負けだ、とお金を儲けた人や要領よくずる賢い人が勝ちのような風潮もあります。でも私は社会のせいにしたくないし、そんな世間の風潮なんてクソくらえ!と思っています。自分の物差しを持ち、子どもの頃の自分に恥ずかしくないように正直にありたいと願っています。

 

心無い言葉や態度をぶつけられている誰かがいたら…。

 

もし、どこかあなたに原因があったとしても、尊厳を踏みにじられるいわれはありません。「死ね!」と言われても、大切な本当の自分をどうか死なせないで。やった側は、忘れて笑って生きていけると思っています。が、自分の生きていく道は、誰でも自分の過去のその先です。弱い相手や自分にとってやってもいい、価値のない相手に対しての態度そのものが人生を作っていくのです。頑張らなくてもいいんです。ただ、自分を汚されないように守ってください。

 

少し前の記事で同じようなことを考えていました。

hamaneko13.hatenablog.com
こちらのテーマは、一人の大人として、これからもぐるぐる考えると思います。