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はまねこ&チー MGぐるぐる日記

2歳目前に小児MGを発症した娘と4歳から吃音の息子、その家族の日々です

ばあちゃん達の哲学

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△雲が夜を連れてきました^_^。

私の母と亡き祖母の共通の友人にはなちゃんというおばあちゃんがいます。いくつなのかな?80歳を超えたかしら。今でも一人でバスに乗って大好きな野球観戦に出かける元気な人です。何かしら人の良い所を見つける天才で、褒める所が見つからないと耳たぶとかまゆげとか、パーツを褒めてくれる…☆
 
例/「なんっという、福々した耳たぶ…ちょっと触ってもええかや。…思った通りの柔らかさだわ、こりゃー!ええよー、こーれーは、幸せだー!」って感じです^_^。
 
随分前になるけど、長野に住む弟の所に、母とはなちゃんと小さかったいくちゃんを連れて旅行に出ましたが、途中でナビの指示を読み違えた私がとんでもない山道に入ってしまい、車が一台ギリギリの道なき道を行く事に。偶然の成り行きでしたが、後ろで母といくちゃんは眠りこけ、助手席に乗ったはなちゃんとゆっくり話す時間になりました。
 
はなちゃんは朝鮮から日本に渡って来たいわゆる二世の方です。「言ってもしゃーない事はもう喋らん事にしとるんだわ」と笑いながらも、普段はあまり話さない戦争やその後の話をしてくれました。言葉が全くわからないままだったので、お子さんの小学校の教科書を借りて毎晩読み書きの練習をした事。近所の同胞のおじさん達がトンネル工事で沢山亡くなった事。お葬式も出せずに遺族の人たちみんなで助け合って暮らした事…。
 
そして日本に根ざして生きて行くと決心した時、はなちゃんは「日本の人のワル(悪口)言わんとやっていく」と決めたそうです。「よそ者だろうが何だろうが、ここで子どもを育てて生きてくのに、仲良うやるのが1番いい。あちらがどう思うとるとは知らんが、日本人だからどうじゃってのを言うようならここでは生きられん。そんときゃ帰るべきじゃ」
 
「今の若い人らには分からんような、泥水すするみたいな日々だったぞー。でもそれはもういいじゃ。ほんに大事なのは今じゃ。あんたは戦争知らんじゃろ?世間がどう言おうがそりゃーいい事!知らんで生きてけるなんて、ほんなもん素晴らしい!あんたらの子どもも知らんでおれたらいい」
 
はなちゃんが若い頃、悔しさに涙したり、何にも無くてお腹がすいて途方に暮れるような日々、自分で手に入れたその哲学が今の彼女の明るいキャラクターを作って行ったのかな。それとも元々持っていたはなちゃんの素質だったのかしら。ガタガタぐらぐら揺れる車内で、真っ赤に広がる紅葉を見て「うわぁー!こりゃー、なんたるスゴい!みっちゃん(私)、こんな冥土の土産に持ってくような見事な紅葉見せてくれて、ほんとにありがとう!道に迷ったか何だか知らんが、涙出るわ、こんな景色見とると…」とすごく感激してくれて。
 
その辺りで寝ていた母が起きて来て「うわっ!何、ここどこ?あんた迷ったの?!大丈夫なの?着ける?ねぇ着ける?」と騒ぎ出し、はなちゃんに「まぁそう言わんと、外見てみやぁ!こーんな紅葉、深い山入って来んと見れんに」とたしなめられ、何とか山を縦断して弟の家にたどり着きました。

戦争の事を話そうとすると、とかく力が入ってしまうものだけど、女性は特に、守るのは家族や子供の食卓であり、笑い合える日常だったはずで…。その頃を生きた女性と話すのは、今を生きる私達にとって大切な宿題なのかもしれません。
 
亡くなったばあちゃんも、嫁入りに持って来た大切な犬山焼きの器を、結婚が決まった私に「あんたは大事にするやろう。そういう人が持ってるのがいいんや。私はそう思う」と、ポンとくれました。とても無口で不器用でしたが、他人の悪口は言わない人でした。そう決めていたのかどうなのか分かりませんが、私たちには説明しない哲学を確かに持っていたと思います。時代の波に最も翻弄された時代を生きた人たち、価値観が根こそぎひっくり返る中で手放さなかった、または手に入れたものなのかもしれません。
 
私はいくちゃんの前に流産で亡くした命があります。その時に病院の先生に「目鼻がはっきりする前でまだ良かった」とか「死産の人もいる。この週の流産はよくある事だし、産まれても多分リスクがある。いわば自然淘汰だ。」と言われ(きっとそういう時に説明する事で悪気も何もないと思うので、そのお医者さんについてどうこうは思いませんが)、そう思うべきなんだ…と考えると泣けなくて、その後3ヶ月間不眠に。それも身体の問題なのかと思い込んでいたのですが、3ヶ月も経って堰を切ったようにワァワァ泣いて、やっと眠れるようになりました。他の誰かにはどうでも、私にとっては、宿ったと分かった時からもう「命」だったのです。
 
哲学ってほどじゃないけど、その時「他人の悲しみを誰かと比べない」と決めました。悲しみや乗り越えないと行けない壁はその人だけのもので、それ以上の人を探して安心したり納得したりする事じゃないと思います。家が浸水して大変な人に「家も家族も流された人だっているんだ。それを思ったらこれくらいで済んで良かったね」と声をかけたら、その人は泣けなくなってしまいます。自分がそう思って壁を越えるのはいいですが、他人が言う事じゃないっていうか…。傷ついた人を慰めるのは難しいですが、その人の痛みに寄り添う気持ちを忘れたくないなぁと思います。

先日の沖縄の慰霊の日、一日中ぐるぐる考えていました。3人の子供と暮らすようになった今、旦那は戦争に行ってていない、母親の立場で何とか子供を守らなきゃ!というのは相当なプレッシャーだったと。そして家族の誰が欠けても大きな喪失感なのに、涙する間もなく、何とか日常をこなさないといけなかったんだ…と思うと、当時若かったオジイやオバアが戦火の中を逃げ切ってここまで生きて来ただけでも、本当にすごい事だと思います。

世界中で競って空から爆弾を落とし合ったのはほんの二世代前の出来事…。地上戦なら尚更、そこに武器を持った軍人さん達がいた訳で、恐怖心は長い間人々に大きな影を落とした事でしょう。

色んな意見がありますし、基地にしても安保問題にしても簡単なことではありません。妄想好きな私にも良い案が浮かばず、ウンウンうなり続けています^_^;。でも白か黒かってヒステリックに怒鳴り合うより、お互いが何を大切にしているかを丁寧に擦り合わせて、仕事や党派の枠を超えてアイデアを出し合い、亡くなった方々やこれから繋がる命たちに恥ずかしくない選択に持っていけたら…と願ってやみません。

ネイティヴアメリカンの方の大切な会議では、7代先の命の席があるそうです。未来の、決して自分では会えない命に会議に参加してもらって話し合えば、背筋を伸ばさずにいられませんよね^_^!見習いたい…そして7代先の方の意見を聞いてみたいです。