ニイニが通級教室に通い始めたこと 〜俺ってやるじゃん!…と思える場所〜
△謎の修行…?
こちらのブログでは吃音ニイニでおなじみの小4のニイニ、久々の登場です^^!彼は宿題に持ち物に…とにかく忘れ物がひどくて、連絡帳で先生と交換日記並みにやり取りがありました^^;。
そこで何度か先生から「お困りのことがありましたら、学校にお越しください。お電話でも相談に乗ります」と書かれていたのですが、正直言いますと私はそれほど心配だと感じていませんで…💦。
もともと私は、どうも度を越した楽天家みたいで、長女の成績がひどくても、息子が吃音でも、チーが難病でも…あまり不安や心配のチャンネルが見当たらないのです。これは心配するべきか?…と思って考えてみるのですが、それも長続きしなくて(笑)。
だから、先生にとっては(どうもあの親は暖簾に腕押しというか、心配じゃないのかしら?)と気を揉んでくださっていたようです。
さて。息子の学校には通級学級があります。みんなで一斉に受ける授業ではちょっと内容について行けなかったり、苦手なことがあったりする時に、主に算数(と必要なら国語もかな?)を、所属のクラスと同じ授業内容で、別教室で少人数対応してくれるというものです。
忘れ物についてのアイデアなど、通級教室の先生ならたくさん持っていらっしゃるから、ヒントをもらうのもいいのでは?…と(少々遠回しにですが…笑)担任の先生から勧めてもらい、先日面接に行ってきました。
そこで通級教室の先生とお話ししてみて、ビックリしました。
「視覚的にアプローチした方が分かりやすい生徒さんには、図を使って説明します。キーワードが分かれば理解しやすいなら、あわせて、とか、差は?、とか、決まったキーワードに印をつけます。一人一人理解しやすい方法があるので、そこを一緒に探します」
「この教室は社会への入り口だと考えてください。今は文房具の忘れ物でも、大人になった時に、定期やスマホ、会社の書類やお財布、それらを毎日どこにあるか探さなくてはならないようでは、社会人として生きづらいです。持ち物を揃えて安心して家を出られるのは、朝のスタートにとって大切なことだと自分で理解する必要があるのです」
「ここでは学習の点数を上げるのが目的ではありません。自分の苦手を知って、対策を一緒に考え、解けた時の達成感を積み重ねていくと、得意を知ることも出来るので、自信につながるのです」
「自分に自信が持てると、人にも優しくなれます。勉強を放り出した時に(どうせ俺なんて…)となってしまうと、自己肯定感も下がってしまい、乱暴になってしまったり自暴自棄になることもあります。理解して少しずつでも前に進みましょう。社会にとっても、いらない子なんて一人もいないのです。どんな子でも自信を持って社会に出て、好きなことを活かして役に立つべきなんです」
な、なんと手厚い…!
分からないことを、なぜ分からないか、どうしたら分かるのかを一緒に考えてくれるですって…??
息子は最近の算数で、概数、割り算の筆算がイマイチ理解できていなかったようで、宿題のプリントはぐしゃっと丸まってるか、宿題はない…とキッパリ断言されるか(いや、もちろんあるんですよ(笑)?)。
一緒にゆっくり解くと分かるのですが、途中でやけになると字はめちゃくちゃでした。
ふーむ。これは行かせてもらうといいかもしれないなぁ、と思って、帰宅後息子に「どうする?今日ママが話してきたら、なんかすごい面白そうだったけどね。もし行きたいならお願いしてあげるよー」と伝えると、「俺、行きてぇ!」と即答。
「おー、そうなんだ、行きたいんだ!それなら行くといいと思うなー。今日はママ、先生と仲良くなっちゃって、2時間もおしゃべりしちゃったわ。すぐに頼んであげるね」と、早速電話して面接を申し込みました。
お話を聞いて(なるほど~)と思ったのですが、面接は「両親揃って」が条件になっています。両親が同じ気持ちで向かっていないと家庭内で誤解が起きやすく、子どもが傷ついてしまうことがあるそうです。
多分、話をよく理解していないパパが「なんだ、おまえは普通の教室について行けてないんだって?」または「なんだ、うちの子が発達障害だって言うのか?」というような誤解かな…と勝手に解釈しています。なにせ「普通」というキーワードからはみ出すことに、不安やアレルギーを感じる大人は多いですからね(笑)。
ともあれ、先週から通い始めた息子は、キラーン!とノートが光って見えるくらいに張り切っています。何より今まで見たこともないほど丁寧に字を書いていて、驚きです^^!細かい部分まで褒めてもらえるので、通級教室のある日は喜んでファイルを見せてくれます。
「解らなかったらどんどん聞いてもいいんだって。ちゃんと手を挙げたら、いつでも聞けるんだよ!」…どうやら、授業中に解らないことがあっても手を挙げるタイミングをはかっているうちに、次の単元に行ってしまっていたようです。
こういうことがあると、案外人間って単純なんだよなぁ…とつくづく思います。どうせダメな人間なんだ…と自分で自分を落として行くと、光がどんどん遠のいてしまいます。が、遠くても何かキラリと光ったなら、そこに向かって進むエネルギーは誰かの褒めことばや応援だったり、可能性を信じる力だったりするんでしょうね。
中学1年生で完全に勉強を放り投げた私ですが、その体験談をすると、通級教室の先生が「お母さんは最先端だったんですね(笑)。今の時代なら、もしかして勉強に興味が持つ方法が探せたかもしれないです」と。
さぁ、それはどうだったのかな~?あの頃の自分に聞いてみたい気もします。でも、少なくともちょっと話してみようかな…とは思えたかもしれないです。勉強はして当たり前の世の中で、誰に言ってもこの違和感は伝わらないだろう、と大人に対して諦念みたいなものがあったので。
私が勉強もしないで何をぐるぐると考えていたかは、いつかブログにまとめたいと思っています(笑)。