はまねこ&チー MGぐるぐる日記

2歳目前に小児MGを発症した娘と4歳から吃音の息子、その家族の日々です

お勉強について思うこと 〜変わり者だった私の思春期〜

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コロナウイルスで大騒ぎの中、卒業式でした。開催してもらえてありがたいことです。

 

なんて久しぶりなんでしょう!この春は本当に忙しくて、なかなかプライベートでPCに向かえませんでした…。皆さんお元気でしたか^^?


さて、今回はお勉強ついて、私の生い立ち(大したことないのですが)を。この春娘が高校受験だったこともあり、自分の思春期の頃のことを思い出す機会も多かったのです。そんな中、中学で早々に勉強からドロップアウトした私の話をすると、周りのママから「子どもが勉強出来なくても大丈夫な気がしてきた」とよく言われました。


幼い頃から「自分はマイノリティである」…という自覚がしっかりあった私ですが(もちろんその事実を受け入れるまでは孤独な日々もありました)、ここに来てその自覚があったことで楽に生きてこられたなぁ、と思っています。


小学校の頃は、学校で授業を受ける→時々テストを受ける、という流れについてそれほど困難ではありませんでした。それが中学に入学すると初めのテストは確か60番くらいでまぁまぁ良かったのですが、2度目のテストで100番以上成績が落ちました。どちらも全く勉強しないで臨んだので、自分としてはなんとも思っていなかったのですが、母親に死ぬほど怒られました(笑)。


こちらのブログで何度か登場しているので、知っている方もいらっしゃると思いますが、私の母は完全沸騰型です。個票(成績表)にサインと親の一言がいる、と言うと「そんなクソひどい成績表見たくもねぇ!見たくもねぇ…って書いとけ!」と怒鳴られてサインをもらえなかったので、仕方なく大人っぽい字で「成績がひどくて見たくもありません」と書いて印鑑を押したら、流石にこれは…と思ったようで、私の書く欄に子どもっぽい字で母が「次は頑張りまーす!」と書いていました(笑)。


その2度目のテストでは先生にも呼び出され指導されました。周りを見ると、みんなはこんなに環境が激変したのに全然困ったようにも見えず、粛々と授業を受けています。私は「なんだろ、この違和感は?これは勉強に向いてないかもしれないぞ。他に生きる道を探さないと…」と勉強することをキッパリとやめてしまったのです。


小さな頃からイメージ画像のようなものが時々見えるのですが、そこではスタート合図が「パン!」となって、皆が一斉にトラックを走り出したイメージが見えました。ぐるぐるぐるぐる…中学校、高校、大学、就職…みんな一体どこまで走るんだろう?と思ったら怖くなってしまって。


そのグラウンドから(ここは自分の場所じゃない…)とそうっと出てしまったイメージです(笑)。当時学年は380人くらいでしたが、どんどん落っこちた私は370番くらいで、あとはみんなお友達のヤンキーさん達。お友達はヤンキーさんでしたが、全然私は見た目も中身もそうではなく、関係性も上でも下でもなく、タバコもお酒も家出も、もちろんパシリも?勧められたことはありません。


溜まり場の部屋でギターを弾いたり、人生ゲームをしたり…タバコは吸いながらでしたら、案外かわいいものでした。私がタバコを吸わないのは周知の事実だったので、遠くに灰皿を置いてくれていました^^。親になって当時を振り返ると、かなり制服はタバコ臭かったと思います。でもうちの両親から友人についてとやかく言われることはありませんでした。家での私の態度や見た目が全く変わらなかったからかもしれませんね。


社会人になってから、父に「あの頃はどうやって子どもを信じたらいいのか悩んだ…」と告白され、そうだっただろうなぁ、よく信じてくれたよなぁ、とありがたく思いました。バイクの集会に誘われることも一度もありませんでしたが、親友はレディースの総長でしたしね…(笑)。


学校では、成績がひどいのはヤンキーさん達とつるんでるからかと、先生に何度も呼び出され問い詰められましたが、質問が的を得てないのでこちらも答えようがなく…(笑)。「見た目はヤンキーじゃないけど、友人はヤンキー多数。学校も休まないし授業も真面目に出てるけど、上の空。成績がひどいだけで友人関係にも問題なし」という、どうやって扱ったらいいのか、本当に困っちゃう生徒だったのです。


そんなこんなで、授業中はほとんど、国語の教科書や各学科の資料集などの活字を読み込んでいるか、パラパラ漫画などを書いているか。窓際ならラッキーで、延々と空を眺めていました。教科書も持ち帰らず、ノートは全教科で一冊だけ。自分が気になったところをランダムにメモしていました。


 

皆の邪魔をする気はさらさらなく、一生懸命やれる人たちのことは尊敬していたので、先生に注意されて授業が中断するような寝たりもせず、まぁ思春期なりに今よりは尖ってはいましたが、ただただ静かに時間を過ごしていたのです。


さて、そのようにしてお勉強からドロップアウトしてしまった私ですが、将来について普通に勉強をこなせる人より100倍考える必要があることは重々に承知していました。こんなに興味が持てないままで普通科に行って大学に行く…なんて道を選んだら、勉強に申し訳ない、もっとやるべき人がやった方がいいはずだ!…と思っていたので、早めに手に職をつけなくては…と考えていました。


ただ、かれこれ30年以上前の話なので、今のような情報もなく、学校を選ぶにも職員室や教室の隅に置いてある「学校紹介パンフレット」のようなものをパラパラめくるか、図書館に行くしかありませんでした。


商業科について「商」という字のイメージから、商売について教えてくれる学校だと勘違いしていて、先生に聞いたらそういうんじゃない…と言われてびっくり!何より、私自身の偏差値も内申も相当にひどいものだったので、そもそも選べる高校自体が少なくて(笑)。


そんな八方塞がりの中、皆が大体志望校を絞り込み始める3年生の夏頃になって、一度美術で褒められただけ(絵が上手い訳でも美術の成績が良い訳でもなかった…)で、デザイン科に行ってみようか、と思い立ったのです。担任の先生に話したら、「よし!じゃあ美術の先生に頼んでやるから、デッサンを見てもらえ!」と大急ぎで手配をしてくれて、箱の一つからデッサンを勉強させてもらいました。


自分で体験入学も希望書を出して体験しに行き、ここなら勉強以外のことが学べそうだ…とやっと進路を決めたのです。受かってもいないのにすごく晴れやかな気持ちでした。親には全て事後報告…でしたが、反対された記憶はありません。曲がりなりにも道を決めたことでホッとしたのかもしれませんね。


担任の先生は「寝て吐く唾(つばき)※寝転んで吐いた唾は自分の顔に落ちてくる…つまり、人に害を与えようとして、かえって自分に災いを招くことのたとえ」が口癖の、あまり合わないタイプの先生でしたが、相当な変わり者だった私の進路については頭を悩ませてくださっていたのですね^^;。


夏に全くゼロから(鉛筆の削り方、持ち方、線の描き方からです)デッサンを始めて、1点ずつアイテムを増やして描き続けました。高校受験の時にはデッサンのテストがあって、トイレットペーパーとトイレスリッパを渡されて、自分で構図を決めて描く…という課題でした。


先生達のフォローのおかげで無事に合格し、専門性の高い高校に通うことが出来ました。高校から道を選んで来た生徒しか通っていないので、皆結構個性的で、大人で、とても居心地の良い学校生活でした。相変わらず勉強の方はひどい成績でしたが、実技の方でなんとか進級していました(笑)。


デザイン、というほど大したものではないですが、一応、手に職…と言える仕事にもついて、おかげさまで好きなことをして暮らして来ました。本を読むのが大好きだったので、社会や国語の成績はさほどひどくもなく、そこがあったら社会性としてなんとかやっていけたりするものなんです^^。


今でも、勉強しなかったことに後悔はありません。そもそも、人と自分を比べる…ということを小さな頃に諦めていたので、そういう性質が大きいのかもしれないですね。ただ、勉強して分かった時に脳の中の何かがキラーン✨と光る…と聞いたことがあって、それはちょっとうらやましかったです。私の脳もキラーン✨ってさせてあげたらどうなってたかなぁって。


あの頃、自分自身に課したのは「人のせいにしないで生きる」…ただこれだけです。勉強をしないと決めたのは自分で、そう決めたからにはどうにか前を向いてやって行く、そのための努力をすること。


ちなみに、今も同じモットーで生きています(笑)。でも、これはあくまで私の話であって、子ども達はまた別の生き物。どうやって向き合うかはそれぞれ違うと思うので、その都度どうしていきたいか話し合いたいです。もし自分が勉強をしないで辛い思いや悔しい気持ちをたくさん持っていたら、勉強はしておくべきだ!…と強く勧めるかもしれないけど、それがコンプレックスでもないし、案外幸せに来てしまったのでね^^;。


でも、勉強が好き、こういうことを学びたい!…って強い気持ちをぶつけられたら、感動しちゃうなぁ、きっと。勉強することは決して無駄にはならないだろうし、それに向き合う気の持ちようは色んな場面で自分を助けてくれるだろうと思います。私が選ばなかった道ですが、子どもが行きたいなら、その世界についてよく知っている人にたくさん助けてもらうつもりです(笑)。


先日、中学を卒業する時に長女から手紙をもらい、そこに「ママの子じゃなかったら、こんなにポジティブに生きていられなかったです」と書いてあって、私と違って真面目に勉強に向き合うタイプ(それなのに成績が悪くて可哀想なんです…)の娘にとって、家では成績ではかられなかったことに救われた、と言われました。


何が転んで誰を救うか分からないものですね。思春期の頃の自分もきっと笑うと思います^^。どうやって子どもの受験と向き合ったか、これはまた別の機会に。(私の勉強に対するスタンスが緩すぎで、受験生だった長女の周りの友達にはちょっとした有名人だったようです…)