終戦記念日にぐるぐる考える事
△70年前も同じような暑い季節だったのですね。屋根や壁が飛んでっちゃった家で、ギラギラの太陽の下、お水もご飯もなく一体どうやって子育てしたんだろう…と考えます。
今年も終戦記念日がやって来ました。8月に入ると6日、9日、15日と、歴史に向き合う機会が多いですね。昨年はチーとベッドの上でぐるぐるしてました。
今年はありがたい事に、再発もなくこの日を迎えられました^_^。
この時期は毎年、少し意識してテレビ等も観ます。どれだけ悲惨な体験だったかを見つめ直すものが多いですが、戦後70年を迎えて、生の声はますます貴重になってきていますね。そして最後は「戦争は怖い、繰り返さないで欲しい」と締めています。
もちろんそれはとても大切だと思うのですが、あの時代にどうしたら良かったのか…他にどんな道があったのか…それを必死に考えてこそ、未来につながるような気がしています。
色々と論議は飛び交っていますが、ヒステリックに二極化せずに、お互いの本当の所に向き合って、どこに行こうとしてるのか…何を大切にしたいのか…右も左も飛び越えて、知恵を結集しないといけませんね^_^。
男子の意見ばっかりじゃーダメですよー!戦争で傷付いた日常をどうにかこうにか動かしたタフさは女性にも学ぶ所が大きいはず。老若男女、素人意見も取り込んで、誰の意見もバカにせず…専門家に任せてちゃいけません。
それにはまず、大人達が小さなコミュニティーから多様性を認め合う事が必要ですね^_^。個人が何を選んでどう生きるか…大きな政治は小さな個人から。世界の平和は自分の心の中から…です☆
次に戦後80年を迎えた時、いくちゃんは20歳、そうごは16歳、チーも13歳です。この10年は歴史にとってもすごく大切なんじゃないかしら。何だか知らんうちにこーなってしまった…と弁解しないですむように、襟を正して生きたいものです。
戦争反対!安保法案反対!…の、その先へ。みんなでどうやって世界の揉め事を捌いていけるのか。その中で日本は嫌でもヒロシマ、ナガサキを経験してしまった責任があると思うんです。戦争を無くすなんて絵空事…と笑う人がいますが、無くす方向を探して諦めずに必死に考えるのはバカバカしい事じゃないし、悩んだり迷ったり…一生懸命にもがく大人の姿を見せていかないといけないと思っています。
同じように(?なんて言ったら失礼…笑)、ぐるぐる考えている方々がいました。勝手に親近感を持って紹介しますね。話し合いなんて簡単にいかんわー!…という意見にも「なるほどー!」と思う所はあります。要は、違う意見から何かを学んで、1+1を2以上にする事が出来るかどうか、ですよね^_^。
70年目の終戦記念日…子供まみれのベッドから。世界中の子供達が安心して眠れる世界を願って。
※話し合いの困難さがとても分かりやすいです。
※色んなテクノロジーで国境を越えられるんじゃないか、って希望が持てます。
※読み応えのある記事が沢山ありました。ぜひご一読いただきたいです。
小児MGの筋反射テストについて
どーもどもっちゃって6 〜吃音の障害児支援通所支援について〜
今月に二回通っているのは「つばさ吃音相談室」という所ですが、先日「障害児通所支援事業所」の認可が下り、児童福祉法に基づいた「児童発達支援(未就学)」「放課後等デイサービス(小学生〜高校生)」事業になるそうです。つまり、そうごに支援が必要だとの認可が行政から下りれば、言語訓練に通所するのに補助が受けられるという訳です。
今かかっている一回¥5,400の代金が1〜3割負担になるという事なので、思わず期待してしまいますね(笑)。そこで、つばさ吃音相談室から出してもらった情報提供書を持って区役所の福祉課の障がい担当課に行って来ました。
チーの難病指定の時に事務手続きの煩雑さは味わっていたので、今回も覚悟して行きましたよー(笑)。そこでまずは3枚程の用紙を書き、先生から出してもらった情報提供書を提出しました。聡悟の場合は日常生活に支障が出るような症状ではない為、障害児手帳の発行までは必要ないでしょうとの事でした。また、障害児支援利用計画案については専門家に依頼しなくても、自分や家族で書けるセルフプランで行けるでしょうとの判断で、そちらの用紙も記入。
ただ、ここで問題が発生。帰宅後に役所の担当者の方から連絡を頂き、通所する事業所である「つばさ吃音相談室」からの情報提供書では発行が難しく、病院や医師からの「吃音症である事の証明」である診断書、吃音の程度等を記入した情報提供書、各1通を準備して初めて手続きに入れる(そこから審査→発行までに二週間程度)との事でした。
そもそも、ここでは何度も触れていますが、吃音症は医療施設での治療が難しいんですよねー>_<。一体どこに相談に行けば良いのか…名古屋市の方も把握していないので、皆で首を傾げている次第です^^;。聡悟は元々中耳炎持ちだったので、かかりつけの耳鼻科はあるのですが、そこで吃音治療の相談に乗ってもらえるとも思えません。ただ、診察と診断書の記入だけでもお願い出来るのかどうかを確認してみるつもりです。
さて、そんな中、聡悟の「言葉がつまるの嫌だ…治したい!」という気持ちは日増しに強くなっており、今までは自分とぼんやりした他者の世界だったのが、他者を意識する年齢になって来たんだなーと感じています。心に浮かんだ面白い事が言葉になって皆に届くまでに時間がかかってしまうのは、あの年齢のふざけた男子にとっては由々しき問題なのでしょう。会話に乗り切れないって、人が思うよりもストレスなんだと思います。
先日、寝る前にベッドで聡悟とゆっくり話す機会がありました。その時の彼の言葉を最後に記しておきます。拙いながらも理由や方法を探ろうとしていて、何とかしてゆっくりでも快方に向かって行けたらなぁ…と願わずにいられません。ここでも親に出来る事なんてあまりなく、応援するしかないのが歯がゆい所なんですがね^^;。
「どうして自分だけが?」というのは、病気やその他のハンディキャップを持っている全ての子供(だけじゃなく大人も…ですね)から問われて答えに窮する問題で、私も未だ答えを持っていません。チーは幼いのでまだ聞いて来ませんが、近い将来、そう聞かれる時が来るかもしれないですね。一緒になって「うーん、ほんとだねぇ。どうしてなんだろうねぇ、でも罰とかそういうのじゃないんだよ。悪い子だからなったんじゃないんだよ」と答えましたが、結局ぐるぐる考え続けるしかないんですね…^^;。
よく病気や障がいについて、世間などで美しく捉え過ぎる風潮があって、「神様に選ばれたんだよ」とか「周りの気づきのためなんだよ」とかですが、家みたいなタイプの場合は治りたいと強く願っているので、ちょっとそれも的外れだったりします(は?意味分からん。言葉なんてつまんない方がいい!…ときっと怒るに違いない…笑)。病気や症状が同じでも全部別々の人格なので当たり前なんですが、とかく一緒にくくられるので、そういうのを窮屈に感じる患者さんも多くいらっしゃるんじゃないかなーと、聡悟を見ていると思います^^。
さて、ベッドでの彼の言葉です。
「俺の気持ちの奥の奥のその奥で、なんかが暴れてるんだ。詰まってないみんなは暴れてないんだよなー、きっと」。
茶々丸が来たことの意外な効果…^_^
△来た時にはビクビクしていましたが、すっかりくつろぐようになりました。獣医さんから指示を受けた毎日の体重測定は至難の業でしたが、この缶が1番成功率が高かったです^^。
茶々丸が我が家の一員になった事は先日の記事に書きましたが、一週間が過ぎて随分成長して来ました。朝は皆の気配がするまで段ボールの家でじっとしています。起きて来たなーと思うと、おもむろに「ミャー、ミャー!」と鳴き始め、いくちゃんママを起こしてミルクの時間。リビングに離すと、自分でちょっとの段差に乗ったりしながら遊び回るようになりました。
生後2週間ほどから親猫なしで人間と一緒にいるので、野性よりも人間に近い猫ちゃんに育つかもしれません。まぁそれについては色々ありますが、これも茶々丸の運命。野原に転がしたら生きて行けるか…については仕方ないでしょうね^^;。マンションが彼のテリトリーになったので、受け入れてやって行く事でしょう。
さて、野良猫の赤ちゃんを引き取る際に、子供達に約束させたのは以下です。
・可愛がるだけじゃなくて、お世話もちゃんと責任もってやる事。
・夏休みの間に掃除をして、茶々丸がいたずら出来る頃にはキレイになっている事。
・喧嘩の怖い声を聞かせない事。
3番目については多いに「??」ですが、上の二つは思った以上にきちんとやっています。いくちゃんは約束通り、起こせばちゃんと夜中の授乳も眠い目をこすりながら頑張りました。いつもの「ママ」はいくちゃん、私は「大ママ」として、上手くミルクが飲めないとか、上手に身体が拭けない(熱めのお湯に浸したタオルでグルーミングの真似事をして、身体を清潔にする事を教えなくてはなりません)時、呼ばれたら手伝う程度に留めています。1番手がかかる時期にお世話出来るのは良い経験になると思っていたので、夏休みがちょうど良かったですね。
あまりお世話をさせてもらえない(やり方が雑なので怒られる…笑)のが聡悟なのですが、いい遊び友達になっているようでとても懐かれています。それもまた気に入らないのがいくちゃん。世話もしないのに懐かれるなんて納得いかない…し、世話をさせるのもやり方が気に入らないし、あー腹立つ!…なんて葛藤で、子育て中の若夫婦を見ているようで笑えます。オットはろくろく世話もしないのに、時々遊んであげるだけで懐かれるなんて何か腹立つわー!…というアレですね(笑)。
そして、意外だった効果がもう一つ。私は自他ともに認める(いや、これは本当に自慢じゃないのですが…笑)掃除の苦手な主婦なのです。そこで、自分だけ大変にならないように皆で朝に30分のお掃除タイムを作りました。15分を床の片付け、15分を掃除機、拭き掃除(拭き拭きマンと呼ばれています…)、クイックルワイパーに分かれてやらせています。
案の定、クイックルワイパーの取り合いになるのですが(やっぱり喧嘩…)、拭き掃除には好きな精油を選ばせて洗面器に垂らしてあげると、結構喜んでやっています。1日に一度だけでも床に物がない状態を作れるので、気持ちがよくなりました。掃除の苦手な私もキレイな方が良いに決まってる…とは分かってるのです、はい。
そしてあとは私のリビング全体の大改造が残っているのですが、何しろどこにでも昇るのが仕事の猫ちゃんです。今の状態で大きくなったら、上から物が落ちまくる事必須…。こないだ二段ベッドを入れる為に部屋を明け渡して、もう大人のものを収納するスペースはどこにもない…T_T。ひとまず、表面が剝がれてしまっていた大型のソファーを思い切って廃棄しました。この後、猫ケージとキャットタワーを買う予定なので、頑張らねば、です!
今回の騒動で思った事。捨て猫ちゃんを子供が拾って来た時、もちろん本当に飼えない方もいらっしゃると思います。でも、そこで問われてるのは「飼える、飼えない」の2択じゃなくて、自分の要求が飲めない時にも、大人がちゃんと相談相手になってくれる、と伝わる事じゃないかしら。自分が子供の頃に捨て猫を拾って連れ帰った時、その顔も見ずに「何やってんの!飼えるわけないでしょ!!今すぐ元の場所に捨ててこい!」と言われた時の絶望感といったら(笑)。
大人には笑われるかもしれないけど、子供は「この命を自分が助けられるかもしれない…」と、真剣なんです。(ダメだろうなー、怒られるよなー。でもこの子見たら可愛いし、こんなに可哀想なんだから、機嫌が良かったらもしかしたら良いって言うかも。でもダメだろうなー)と心の中をぐちゃぐちゃにしながら走って帰って来たのです。多いに面食らうし、正直面倒だとは思いますが、飼えない理由をしっかりと目を見て説明して、里親を探す手伝いをする、獣医さんに相談する、など、他に安心して預けられる所を一緒に探そう…きっと助かるよ。と言ってあげるだけでも、気持ちは安定するんじゃないかな。
獣医さんに連れて行けば、獣医さんが一生懸命子猫の命に向き合う姿を見せられるでしょう。里親を探すボランティアさんもいらっしゃるので、ネットなどで探してそこに預けに行けば、そこでも小さな命に向き合う姿を見て何かを感じるはずです。
お金もかかってしまうし、簡単ではないけれど、子猫の命なんてどうでもいい…とは思っていないんだ、と伝わればそれで良いんだと思います。
我が家は引き取って育てる事になりましたが、それだけが道ではありません。他の選択肢を一緒に探す事、引き取って育てる事…ダメの一点張りではなく、どちらなら可能なのかをちょっと考えてあげて欲しいなーと願います。
かつて小さな私に再び捨てられたびしょ濡れの子猫ちゃんが、巡り巡って我が家に来たのかしら…なんて考えながら、自分に「飼う、飼わない」の決定権があるなんてやっぱり大人は良いよなーと思っています^_^。
最近のチー
△冷えピタ大好き…!
チーの記事は久しぶりの更新です。最近とっても調子の良かった彼女ですが、久しぶりに夏風邪を引いてしまいましたー>_<。この季節は体温調節が難しいです…。昨年は夏休みの一ヶ月を気温調節完璧な病院に入院して過ごしていたので、この夏はちょっと暑さを心配していました。それが台風の気圧の上り下がりの激しさと、急な暑さがこたえたのかな…昨晩の夜半から発熱しています>_<。
ここの所、お薬も頑張って飲みながらですが、機嫌良く夏を過ごしていたんですけどね。夏の風邪は熱が出やすいものですが…頑張って超えて欲しいものです^^;。今の所お口の中を気にしてはいないので、ヘルパンギーナではないかな。手足の発疹もなし…手足口病も違うかなー、なんて様子を見ています。でも溶連菌も流行っているみたいですよね。喉を痛がったり発疹が出たりしてきたら要注意ですー。どうか熱だけで済みますように。
お昼までグッスリ寝て、熱は無事に下がりました。でもいつものはじける笑顔の食欲がなく、どうやら本調子では無さそうです。これがただの体調不良なら良いのですが、MGの症状が出てきちゃうとややこしいですからね…^_^;。
口内炎の時に学習した事を活かして、のどごしの良いものを食べながら頑張らなくっちゃね。
縁あって猫と暮らすようになったこと
△生後2週間の♂です。
先日、長女5年生が学校帰りに近所のおばさまに声をかけられました。お庭にある物置の下で野良猫ちゃんが赤ちゃんを産んで困っている…と。そこのお家はワンちゃん派(ってのも変ですが…笑)、猫ちゃんを飼うのは難しいのでどうしよう?と相談を受けたそうです。
当然「ママ!聞いて!ねこ、ねこ、ねこ飼っていいっ!?」と興奮して帰って来ました。しかし我が家はマンション…5人暮らしでもぎゅうぎゅう詰めの毎日です。物は多いし、掃除は苦手だし、どう考えても無理じゃないか…と思ったのですが、子供は引きません^^;。すぐに「いいねー、飼おう!」と言えない私に業を煮やし、娘は「もういいっ!私がおばちゃんの所に言って断ればいいんでしょっ?!」と切れ出しましたが、そうごが一言「ねぇ、一体僕らに何が出来たら飼ってもらえる話になるの?」。この言葉に(親バカながら…)「成長したなぁ…」と思ってしまいました。
その昔、私も雨の中で段ボールに捨てられてた猫を拾って来た事がありました。よく見もしないで頭ごなしに「ダメだ。もっかい同じ所に置いてこい!」と母に叱られ、トボトボと泣きながら公園に戻った事を思い出します。雨のかからない所を探してウロウロ、牛乳だけ置いて「ゴメン、ゴメン!」と逃げるように走って帰りました。
※後日談ですが、その母がシャム柄の猫を公園で見つけて「良い猫がいた」と拾って来ました(高級そうに見えたんでしょう…笑)。その後、その「ねこ」と名付けられた猫が子供を産み、皆にもらわれた残りの一匹が「はま」として一緒に長年暮らす事になりました。私のハンドルネーム「はまねこ」はここから来ています^^。
その頃の自分がオーバーラップした事もありますが(笑)、もし飼えないとしても、よく話し合って納得させる必要がありました。そして次の日、とりあえずおばさまに会いに行ってみました。いくちゃんの話し振りだと、もう、すぐにでも返事をしなければ保健所に連絡する…って感じだったので私もドキドキしちゃって。
そしたら飼って欲しいあまりに娘が大分話を盛っていたみたいで…(笑)。とてもしっかりしたおばさまでした。私が心配していた、連れ帰っても生後すぐに人間の手で育てられるのか、母猫と離して大丈夫なのか、免疫力はちゃんと付くのか。命のリスクが大きすぎないかなーと。そこはちゃんとおばさまも理解されてて、餌をあげないという条件で(これは結構厳しく保健所の方に注意を受けたそうです。餌をあげたなら飼いなさい…と)子猫達が独り立ち(1〜2ヶ月くらい)するまでは、庭を提供するとの事でした。
それを聞いて、まず一安心。縁があれば(野良猫は結構ねぐらを変えるし、台風などで生き延びられるかどうかも見守るだけだと言われました)夏休み明けに会えるかどうか…という話になりました。
そしたら昨晩、おばさまからお電話が。台風でねぐらを変えた母猫から置いて行かれた子猫が一匹。獣医さんである甥っこさんに指導を受けて、休日でも診療してくれる動物病院を探し、身体に病気がないかと、ノミの駆除までしてくださって、赤ちゃん猫用のミルクとスポイト、ペットシーツも準備して、ご連絡下さいました。
台風の中、雨風にさらされながら、大声で鳴いて家族を呼んでいたようです。おばさま夫婦で夜半まで見守って、母猫が戻らないと判断して保護されたのでした。置いて行かれるあたりはドンくさいけど、生命力はとても強いぞ…と獣医さんから太鼓判を押されたそうです。
そういう訳で、ここまで来たら縁があったとしか言えないでしょう?…赤ちゃん猫が大きくなるまでの一ヶ月を掃除月間とし、断捨離しながら(笑)、動き回れるようになるまでに、マンションの中を整える予定です。4時間おきの授乳が必要ですが、ちょうど夏休みなので、ここは私だけがやってしまわずに、夜中の授乳も交代でやれたらいいな、と思います。
ちなみに、猫の名前付けあみだを勝ち抜いたのは、ダークホースのパパでした!あーでもない、こーでもない、と散々もめて、結局名前は「茶々丸(♂)」に決定しました。ここに来て家族が増えるとはね…これからもよろしくね。
どーもどもっちゃって5 〜言葉のトレーニングを始めたこと〜
△段ボールをベランダに運び込んでオヤツ食べてます^^。
珍しく、続けてニイニの記事です^_^。先日書いた通り、ニイニの吃音について次なるステップに進む時が来たので、色々調べて名古屋市中村区にある「つばさ吃音相談室」を訪ねてみました。
こちらはいわゆる病院ではなく、代表をつとめる言語聴覚士の羽佐田さんが吃音改善を目指すプログラムを実践している相談室です。初回のカウンセリングは1時間程じっくり行われ「つばさ吃音相談室」のコンセプトがそれぞれに合うか合わないかをよく考えるように勧められます。
↓羽佐田さんはこちらの記事にも登場しています。
※余談ですが、この記事は本当に気持ちがこもっていて素晴らしいです。本人の苦悩は想像する事しか出来ませんが、すごくリアルに胸に迫ります。
小児の吃音の場合は、吃音者当人ではなく親などがカウンセリングを受ける形になります(退屈したそうごが走り回って恥ずかしかったです…^^;)。羽佐田さんはご自身が吃音者だった(だった…と過去形にしたくなる程流暢に話されますが、ご本人はまだ吃音者だと仰るかもしれません…)経験から、とにかく吃音を改善する為にやれる事を探すべきだ、という強い信念をお持ちです。
その辺りの事は、これまで私もさんざんぐるぐると考えましたが、周りが個性として認めるのは大切だと思いますが、吃音は「治らないのが当たり前」という常識については、ちょっと疑問が残っていました。必ず治る!と言うのが難しいのは分かりますが、治らない事を認めてそのままでいよう(流行のありのままで…ってやつですか(笑))…と言い過ぎるのもどうなのかしら…と。
特に最近はそうごから「お、お、おれ、つつつ、つ、つまりたくないんだ!ねぇどうしたら治るの?」と強い意思も出ていますので、どうにかして治療法を探したりトレーニングしたり…と、改善に向けて一緒にあがきたいなぁ…と思っていて。ただ、何度も触れていますが、吃音って医療関係に答えを求めるのが本当に難しいのです。何しろ原因も不明、治るかも不明、決まった投薬もない、治療法さえ確立されていません。ある意味チーの筋無力症よりも難しいかもしれませんねー>_<。
羽佐田さんとお話しすると、私が漠然と感じていた違和感にドスンとパンチが入った感じでした^_^。「そりゃ本人は治したいです。死ぬ気で治したい…って望みますよ!自分が話す事に困難を感じているのに、周りから「いいよ、いいよ、そのままで」とか「君は上手に話せなくったってサッカーは上手いじゃないか」と言われても、本人には酷ですよ、ハッキリ言って」だそうです^^;。困っている、という事実に向き合うのを周りから「そこは見なくてもいい」と無理矢理思わされるのと同じだ…との事でした。治したい!と希望を持つ事を一方的に断たれるのは辛い事ですよ、と。
また、心因性やストレス、繊細な子供が…とか、親が厳しい(一昔前ですね、これは。笑)、などなど…そのような原因論も「全世界で人口の1%、2歳から6歳でほとんどが発症してる。ストレスならそんな幼少期でなく、思春期や青年期に発症してもおかしくないし、環境が原因なら世界中でもっとばらつきがあるはずですよね?」とのこと。…た、確かに。最近では7割が体質だと考えられているそうです。
これらに関しては様々な考え方がありますし、もちろん吃音を認めて付き合うのも生き方の一つです。それについて逃げているとか云々、他人は絶対に口にするべきじゃないし、色んな葛藤を超えての事だとお互いに認めるのは大切な事です。吃音のままで生き生きと人生を謳歌される方も大勢いらっしゃると思います。ただ、そうごはタイプ的に「こんなのいやだ!みんなみたいに話したい!」とハッキリ口にしているので、治す為のトレーニングに通うのは合っているんじゃないかしら。
今はカウンセリングを受けて、本人や家族とも話し合い、通う事に決めた所。そうごは「うそ!?あんなにいっぱい話してたのに、先生もおれと同じだったの?…おれ、通う!そんで練習いっぱいする!」と張り切っています^^。楽しい遊びのプログラムとは根本的に違うので、やる気については今後色々出て来るかもしれませんが、5年後10年後の彼の為になると信じて通ってみようと思います。VTRを使った吃音検査法で何ヶ月か毎に効果を見て行くそうなので、吃音の状態が前進していたらまたやる気につながるかな。
家から車で1時間程度かかるのと、他の2人を実家に預かったもらう事、保険適用がなく実費で一回5000円かかるので、月に2回位しか通えないかなーと考えています。2回なら月に1万円、ちょっと高い習い事を始めた…と思って頑張れば出せる金額です。こんなこと、チーの鍼灸治療でも考えたような…(笑)。まぁ未来の為にかかる費用だという事ですね。
彼なりの歩みで少しずつ前進出来たらいいな、の希望を込めて^^。
どーもどもっちゃって4 〜原因よりも治療…について〜
△久しぶりにニイニの登場です。
以前の記事はこちら。
前回の記事で耳鼻科に通っている所まではお話ししましたが、彼の吃音は良くなるでもなく…現状維持のまま、最近は国語の授業での本読み「おおきなかぶ」で大苦戦してるようです(笑)。それと言うのも、あ、い、う、え、お、は比較的発語が難しいようなんですが、「あまーいあまーいかぶになれ。おおきなおおきなかぶになれ」などと、このお話はとにかくア行が多いんです^^;☆
さて、以前の記事でも書いた通り耳鼻科の先生はとてもユニークな方(おじいさま☆)で、彼も気に入って通っていたのですが、少し前に気になる事がありまして…ちょっと足が遠のいてしまいました。
その事に触れる前に確認しておきたいのですが、こちらの記事はあくまで私の主観であり、誰の事も批判したり非難するのは本意ではありません。本当はブログに公開するのを迷っていたのですが、途中まで治療の一環として紹介していたので…その責任もあり、重い腰を上げた次第です。
ま、前置きが長過ぎますね…^^;!!どうぞ気軽な気持ちでサクサク読んで下さい(笑)。
先ほど書いた通り息子の吃音は相変わらずなんですが、家庭訪問にいらっしゃった先生によると、学校では積極的に手を挙げたり発表したり、お友達とも楽しく生活しているらしく、「治る気がしないな…」と静かな声で言っていた時よりは、メンタル的にはいい状態なようです。
周りに吃音のままで市民権を得たのかもしれませんね^_^。でも「治したい!」の気持ちは以前よりずっと強くなって来て、それは外部からのからかいではなく、自分がすらすら話せるようになりたい…という理想を持ち始めたという事でしょうね。
さて、本題に入ります。いつものように耳鼻科に行くと、いつものoリングの治療の後、ちょっとややこしい(?)辞典のコピーを渡されて、前世のカルマ的な?霊的な心当たり(平たく言えば先祖供養や親不孝などなど…)はないか?…と聞かれました。曰く、吃音を起こす子供は先祖の中に怒りに任せて人の話を遮りまくった人がいる、とか、筋無力症の子供は母親側の大親不孝(←ただの親不孝ではないのです…笑)とか、まぁそんな感じの内容です。
そういう世界は目に見えないだけで確かにあるんでしょうし、先生が積み上げて来た実績や想いを否定する気持ちはありません。何か見えない力の作用でどこか身体に影響が出る事もあるのでしょう。先生はきっと我が家のきょうだいを「妹は筋無力症で兄は吃音だとー⁉︎…何とかしてやらにゃならん!」と鼻息が荒くなってしまったのかもしれません^_^;。
ただ、病気や症状を安易にそこに繋げてしまったら、今現在治療に向かわざるを得ない患者や家族の気持ちに負担がかかるだけで、治療に関して前進にはならない気がして…正直な言葉を使えば「そう来ちゃったかぁ!」と思ってしまったのです^^;。
そもそも「親不孝をしているね!」とか「先祖供養が足りないね!」…と言われて「いいえ、完璧にやってます」と答えられる人がいるんでしょうか?「やましい事はどこにもないか?怒りっぽい人が親戚にいなかったか?」…と言われたら、探せば一人や二人いそうだし(笑)。
連綿と続いた命の果てに自分達がいる…そういう意味での先祖の方に対するリスペクトや感謝は当然必要な感覚だと思います。でも、これから私が生きて死んで子供達の先祖になった時、4代5代先の直接会えない未来の人達に墓参りがどうの、有り難がってないからどうの、って…そんな理由で良くない気を飛ばすでしょうか^_^;。
それにいつか孝行をしてもらう為に今の子育てをしてる訳じゃないしなぁ…。過去に命を繋げて下さった先祖に恥ずかしくない生き方も大事ですが、私はむしろ未来の子供達に恥ずかしくない選択をしたいんだけどなぁ、なんて思ったり…^_^;。 ただシンプルに、チーの病気やそうごの吃音を受け入れて一緒に悩みながらサポートをする、それが私の大きな仕事だと思っていて、病気を起こした原因よりも今はそちらに気持ちを傾けたいのです。
どんな出来事も「心の闇」になるか「出会いや気付きのきっかけ」になるか、本人次第じゃないかと思うし、その方向を間違わないように、遠くから灯台を灯し続けるのが子育てなんじゃないかしら。
誤解しないでいただきたいのは、先生にとっては善意からの診察であろう事と、その世界を信じて自己反省をして、結果良くなる方もいらっしゃるかもしれない…という事です。ただ、私がすごくぐるぐる考える、少々ややこしいタチの人間なだけで(笑)。
今回も頭から湯気が出るか…ってほど考えましたが、結果「そういうのもあるかもしれんけど、私にとっては今が大事だ…」という所に落ち着きました。
次の診察で感想を…と言われたので、どう言ったら伝わるかドキドキして向かいました。私は基本丸腰で生きてますし、先生が信じて来た事を否定したい訳でも対決して論破したい訳でもないのですが、その考えをそのまま受け入れる事は難しい、自分には思う所がある、とは伝えないといかんかなぁーと。まぁ向こうから話題をふってきたら話そう、そうじゃなかったらフェードアウトしよう、と決めて行ったら、完全スルーでしたー^_^;。まぁ、こういう事を考える必要があった時期なのかもしれませんね。
難病なんかを発症すると、とかく色々と外野がうるさくなる場合があります(笑)。食べると良いもの、オススメの健康法、宗教の勧誘から高額なサプリメント…それが善意からのアドバイスなら尚更、断るのも一苦労ですよね。どうかそのようなアドバイスをされる方は、今、患者や家族が病気や治療を受け入れながら、日常を生きる事に四苦八苦しているのをご理解頂きたいのです。せっかく良い事教えてあげたのに!あれをしたら病気なんて治っちゃうのに!…とは思わないで下さいませ^^。魔法のような物に縋り付きたいのは山々ですが、本当にそれを選ぶべきなのか、本人や家族がじっくりと向き合う時間はどうしても必要なのです。
私には見えないものを見るような大きな力はないけど、我が家の吃音と筋無力症の子供達が、誰かと自分を比べて妬んだり、心の闇じゃー!なんて騒いだりしないで、のびのび育って行く為の手伝いや応援の責任はあります。 親が出来るのなんてそんなもんだと思うんです^^。
そして、吃音に関しては次なるステップに進むつもりです。吃音の専門施設に相談に行く予定で、もし息子に合うなら少し通ってみようかな…と。先日予約の電話をしてみましたが、とっても心のこもった熱のある応対をしていただき、会う前から私も楽しみです。他の2人を実家に預かってもらって、その間は私と息子の2人の時間にしたいなーと思っています。いつも協力してもらって実家には感謝、感謝です^^。
もちろん耳鼻科と決別をした訳ではないので、本人から「行きたい」と希望が出たらいつでも受診するつもりです。いつもオープンをモットーにしている私ですが、今回の事は子供達には内緒にしてあります。彼らと先生との信頼関係は今回の私の考えとは関係のない話ですからね^^。
吃音も情報が少ないので、こちらでまた専門施設については報告させてもらいますね。今回はいつもになく歯切れの悪い記事で申し訳ないです…この記事が誰も傷つける事がありませんよう願っています。
ばあちゃん達の哲学
医療格差をなくしたいなー 妄想編
△3歳になったチー。お姉さんになりかけています^_^。
こちらは「妄想シリーズ」の最新版です^_^。
以前の記事はこちら
先日、LINEの小児MG患者の親の情報交換で胃薬についてのやり取りがありました。ステロイドのフォロー用に出されている胃薬について、出されている人、出された事のない人、朝昼晩飲んでいる人、1日1回の人…などなど、見事にバラバラで、出されていない人のお子さんが腹痛で悩んでいらっしゃる、との事。ちなみにチーが飲んでいるアルファロールという骨粗しょう症のフォローの薬も出されていない方が多いです。
実は同じ病気でも、普段は患者さん同士が薬をどんな種類、どれだけ処方されているかってあまり確認し合わないでしょう?でもこうやって情報を開示し合ってみると、小児MGという同じ病名でも、薬の量や種類など実に様々です。特にステロイドのフォローについてはいわばオプション(…と言うのは本当におかしいのですが、ステロイド=副作用…これはセットだからやむなしだという認識が多いのです…T_T)で、特に差が出る部分です。
そこで、どうしてこんなに色んな見解があるのか、もっとオープンにならないのか、久しぶりに妄想してみました。
まず、患者側の素朴な疑問や願いの最たるもの、それは「東京などの大都市でしか最新の治療を受けられないなんて困る」という事でしょう?今の病院、この先生で大丈夫なのか、特に子供が患者の場合は身体の説明も上手く出来ないし、親が色んなやり取りを代理でする事になるので心配は尽きません。
では先生の立場に立って考えたらどうなんでしょう?勉強から逃げ回っていた私とお医者さんではあまりにも違うとは思いますが、基本的には同じ人間です…よね(笑)?と言う訳で多少強引に妄想してみたいと思います。お医者さんからは失笑が出るかもしれませんが、それはそれ☆…元気出して行きましょう^_^!
私がお医者さんで、よく分からない症状の患者さんと出会うとする。「何だろう?こういう症状見た事あったかなー、いつか授業でやったっけ?…ヤバい、よぅ分からん!」…こういう事ってあると思うし、あって当たり前だと思います。患者の診察ってぶっつけ本番なんですもん。そういう時、どうするのかしら。自分の先輩に聞く?同僚に相談する?様子を見る?でも次々に軽い症状やしんどそうな症状の患者さんがやって来ます。
じっくり向き合って、考えて、勉強する時間はあるのだろうか??少し引っかかる所があっても、激務の中で流れて行っても仕方ないような気がして。じゃあどうすればいいのか?を勝手に妄想してみます。
「診断名がおりる」…これは患者にとってショックな事ではありますが、まずはここに辿り着かないと治療がスタート出来ません。それに特に難病などの珍しい病気の場合、診断名がおりなくて苦労される患者さんはとても多いと聞きます。私の友人も20代でリウマチを発症した時「こんな若さでそれはない…」とお医者さんに言われ、なかなか診断名がおりませんでした。
治療を速やかにスタートするのは、どんな病気でもとても大切です。そこから患者さんは治療以外にも日常の様々な事を乗り越えて行かなくてはなりません。小さな子供なら家族ぐるみで、思春期なら学校生活や勉強、働き盛りなら仕事、若くてもお年でも、一人一人には違う人生があり、そこにプラスした治療のスタートです。お医者さんにとっては1日に何人も診る中の1人でしょうが、患者や家族にとっては100%の存在なんです。まぁ当たり前なんですけどねー^_^!
お医者さんがもし診断に迷った時に「分からない」という事を受け止めて、素直に相談する事が出来たらどうでしょう?病院の系列を超えてその道のプロに質問出来たら心強いんじゃないかなぁ。誰しも誤診をしようと思ってやってる訳じゃないでしょうし、正しい診断名をバシッと伝えられた方が気分良いに決まってます。
そこで考えたのは、 疑わしいと思えた病名についての所見を、どこかWeb上に投げかける事が出来る。今私たちがやっている患者の会のお医者の会みたいなイメージです。院内でのカンファレンスの全国版って感じになるのかな? どんなお医者さんでも大学時代に論文を書くためにしゃかりき勉強した経験があるはず。それが毎日の業務にすぐに活かせている訳ではないかもしれません。ある特定の研究をしていたとしたら、ピンと来る方がいるんじゃないかしら。
そこで若い先生から経験豊富な先生まで混じり合って活発にディスカッション出来たら、いくつか疑わしい病名を絞り込めて、具体的な検査に繋げて行けるかな、と。
「そんなもん、とっくにやっとるわー!」…という声が聞こえて来そうですが、院内や系列病院に関わらず、ざっくばらんに話す事って出来るのかな?私の友人のリウマチのように、思い込みで軽く考えて「様子を見ましょう」なんて2ヶ月先に予約してたら進行しちゃう病気だってあるんです。西洋医学や東洋医学などのジャンルも超えて、薬の副作用についての相談なんかもフォロー出来たら有り難いんじゃないかなー。
NHKの「ドクターG」っていう番組で病名を探し当てるのをやっていますね。あれと近い感じです。診断書みたいなひな形があって、そのフォームに記入して動画など添付したりSkypeなどで遠隔セカンドオピニオンなんかも出来たらいいかな。「自分としては「○○」や「○○」を疑っていますがどうでしょう?」って感じになるかしら。もっと細かい検査結果や血液データなども必要でしょうね。個人のプライベート問題が出てくるのかな?でも患者さんからしたら、しっかり話し合ってもらった後の診断名が出た方が嬉しいと思うんだけど…。
それからもう一つ。診断名がおりた後の事です。難病などの珍しい病気などを受け持った場合、報告を義務づけるのはどうかしら。それぞれの病名によって担当病院を決めてあって、そこに情報が集約されるイメージです。
投薬量や病気によって出て来る他の器官へのリスク、検査方法(ちなみに小児MGではステロイドのフォローについて、筋反テストをやるかどうか…その際の麻酔の有無、神経眼科への受診など、これだけでも様々あります)気をつけるべき事など、情報が一本化されていると安心ですよね。
ステロイドの減量方法や、薬が上手く効かなかった場合の他の道…など、そこに聞けば日本だけじゃなく世界の最新の治療方法が分かる場所です。患者さんが高いお金を払って手に入れている診断書。ありゃ一体何に使われてるんだー!?こういう場所でこそ活かして欲しいものです^^;。
私はチーの病気のデータを、これからかかるかもしれない沢山の患者さんに活かして欲しいし、難病患者にはその責任があるんじゃないかな…と思っています。東洋医学でのステロイドフォローなど、情報が欲しい方は必ずいると思うんです。その為にこのブログを立ち上げたのですが、ここはあくまで患者側の気持ちであり記録です。どうかお医者さんにも難病患者の診断データを活かす努力をして欲しいです。
今回の胃薬の件は小さな事かもしれないけど、そういう事って沢山あるような気がしていて。本当に詳しい先生が診てくれてるのか…ステロイドは適量なのか…患者さんはいつも先生を信じるしかない、という気持ちで受診しています。こういうシステムが確立されたら、お医者さん自身も楽になるんじゃないかなぁ。全国のお医者さん同士が情報をシェアして共に進んで行けたらお互い刺激や学びにもなると思うし。
そして願わくば、患者の会とお医者の会は時々でいいから情報交換し合えたらいいな。患者さん同士ってお医者さんとはまた違った意味で、日常を生きて行くための最新情報?というか、工夫をたくさん持っています。お医者さんは医療のプロでしょうが、患者さん達は病気を抱えた生活のプロです。今は遠すぎる関係を、お互いにリスペクトしあって補い合えたら強いと思うんだけどなぁー。何とかならないかなぁー!
チー3歳になる!〜おっぱいバイバイ〜
△あたし、3歳…!と起きてきました^_^。
早いもので、昨年退院日に看護婦さんや先生達から沢山ハッピーバースデイ♪の言葉をもらってから1年が経ちました。今日はチーの誕生日^_^。少し前からワクワクが止まりません…小さな頃ってこんなに年を重ねるのが楽しみなんだーと、子供達の誕生日は迎える度に新鮮な気持ちになります。
この歳になったら○○が出来るようになる…もっと成長するんだって、何の疑いも無く信じられる所が眩しいですよね(笑)。チーの場合は初対面の人に挨拶するのは3になってから…と言っていました^^;。そして、今朝早速マンション下で会った人に元気にあいさつ。す、すごい、誕生日効果…!
先日は2泊3日で、長野で田舎暮らししている弟の所に実家の両親に連れて行ってもらいました。小さい頃の旅は嫌でも誰かのお世話になるので、近しく感じる人が増えるのは大きな収穫ですね。そこで2泊もするからそのまま卒乳するんじゃないか?って言われていたのですが、帰宅したらすぐにおっぱいに飛んできました^^。夜泣きをしなかったって事は、起きて(そっか、そうだった)と諦めて寝たんじゃないかと。
かねてから、おっぱいとは3になったらバイバイする…!と自分で宣言していた彼女。昨日はおっぱい最後の日だ、と朝から晩までおっぱいに張り付いていました^^;。そしてネンネトイレに行った時「わ、おっぱいさんと今日で最後だー!」と。夜中も何度も何度も起きておっぱい(笑)。名残惜しいようですが、しっかり自分で決めて実行しようという気合いを感じました^^。
しかーし!朝は元気におっぱいバイバイの儀式(桶谷式なんですが、おっぱいに顔を書いてサヨナラしました^^)も出来ていたのですが…。寝る段になると「そんな約束どうでもいいじゃん、おい、出せよ出せったらよー!」と人が変わったように大暴れ(笑)。 その後もシクシク泣いたり、わーわー叫んだり、暴れたり転がったりしながら大騒ぎしていましたが、疲れて泣きじゃっくりしながらやっと寝ました^^;。…いや、また起きるかもー!?
子供にとっておっぱいとサヨナラするのは、1番最初のハードルなんでしょうね。とりあえずであり絶対の安心感!すぐに出て来て助けてくれる、天然精神安定剤。昨年の入院時には本当に一日中張り付いてたのを思い出します。色んな場面を一緒に超えた仲間と袂を分かつようなイメージですが、きっとその先には成長があるんですよね。
我が家は3きょうだいとも3歳頃まで飲んでいました。夜中の授乳は大変でしょ?と言われましたが、あれはあれで良い思い出です^^。一心不乱に飲んでる時の動物感(?笑)とシンとした空気感は結構好きでした。
3きょうだいの長ーい授乳生活を終えて、今は自分の身体ながらお疲れさまでした、と言いたいです^^。授乳って、自分が誰かの食べ物になる…ある意味深い体験ですよね。栄養だけじゃない、色々を与えられたんじゃないかなーなんて思います。
どーもどもっちゃって3 〜おれ、治したい!宣言〜
△いやに真剣にシャボン玉飛ばしてます!
この記事は6歳ニイニの吃音についてのシリーズになっています。
以前の記事はこちら。
4歳頃から始まったニイニの吃音ですが、最近本人も学校生活で不便を感じているようです。先日、お風呂で「どこか練習したり治療したりする所を探してみる?」と聞いたら「そんなん、おれ、治したいわ…!!」と初めて強い調子で言いました。今まで何度か同じ質問をして来ましたが、「うーん」…という曖昧な返事がほとんどだったので、よっぽど気持ちにこたえる所があるのでしょうね…^_^;。
聞いてみると、何か嫌な事を言われる訳じゃなく、ただ伝わらなくて、毎度聞き返されるのが億劫みたいです。「俺の話は、分からんみたい」と言っていました。
さて、治したい!と、その声が出たならなるべく早く、協力する姿勢を見せると決めていました。
「魔法みたいに、チャラララーン♫…と治ることはないこと」
「苦い薬(東洋医学も視野に入れたいので、漢方など…)を飲むかもしれないこと」
「行ってみて合わない所もあるかも。一箇所ですぐに決まらないかもしれないこと」
を理解してもらい、了承出来るなら一緒に頑張ろう。お母さんは色んな人に聞いたりパソコンで調べたりして、情報を集めるね。そう君がやってみて合わなかったり嫌だったら正直に話し合おう。オッケーですか?
ということで、最近ネットで調べまくってるのですが…いやー!チーの難病と大差ないほど情報が少ないんですー(~_~;)。辿り着いても就学前の子供が対象だったり、発達相談と併設だから、小児科で発達関係の診察を受けてから、紹介してもらう形を取らないといけなかったり…。
何しろ、医療的に吃音ってくくりの分類が難しいみたいで…>_<。病院にかかるなら神経科か精神科になるようですが、それだと大きくなってからのストレスなど心因性の緩和に重点がおかれそうでしっくりこない…。言語聴覚士さんがいても吃音がフォロー出来るかどうか、その方の専門性による所が大きいようです。
おー、これはまさに…!難病と同じ…行ってみて専門医かどうかは運次第…と行った感じでしょうか^^;。
いくつか電話で質問してみましたが、あまりピンと来ません。だからと言って、彼の強い気持ちを思えば、ズルズルと日延べしちゃうのもどうかな…と。
そういう訳で、まずは本人が行ったことのある名古屋のお隣、尾張旭市の「ヒダ耳鼻科」を受診して来ました。
この耳鼻科、知る人ぞ知る変わった診察をしてくれる病院です。ホリスティックといって病気を診断名で見ずに全体の流れとして診る…といえばいいかしら。身体のあちこちに触れながらOリングで原因を探って行きます。耳鼻科の診療時間に行けば、保険適用内で診てもらえます。そういった病院なので、受付で「どうされました?」と聞かれて「吃音で…」と答えても全然驚かれません^_^;。
まぁ、ここで説明しても怪しさは増すばかりですね…(笑)。とにかく、そちらに行ってみた訳です。
初めに先生(かなりおじいさまです)から「吃音って言うけどなぁ!ほんなもんは単なる症状にすぎん!全部の流れの中でのバランスだ。全部って分かるか?息子の身体だけじゃないぞ…お前さん達家族や環境、全部が無関係じゃないんだ」と一喝されます(笑)。ここで怯んでいては話が進まないので、神妙にはい、と答えると、「夫婦仲はどうだ!?」「まぁ良い方だと思います」「ふーん、まぁいい。診てみよう」
メモを取ろうとしたら「そんなもん!頭で考えるからいかんのじゃ!勉強なんかしなさんな。お母さんは学術的な勉強せずにちゃんと本人を見ろ」と怒られてペンをしまいます。終始そんな感じなので、親子ともに怖くなってしまう人には向かないかもしれませんね^_^;。
でも、なぜかチーもそうごも先生が大好きなようで。興味津々…って感じで診察を受けていました。紙コップにお水を入れて持たされ、身体中に触れながら「お母ちゃん」「お父ちゃん」「学校」…などと聞いて行きます。それで反応を返した所がキーポイントと考えられる訳です。そうごは「お父ちゃん」に反応したので、それをいわゆるヒントみたいにして、関係性を見つめ直します。
最後にそのお水を飲み干して治療は完了。
全体の流れを整えるなんて、つかみ所のない曖昧な治療ですが、そうごは「ここに通う」ときっぱり言いましたので、何かしら感じるものがあったのでしょうね^_^。チーと2人で週に一度、しばらく通ってみようと思います。
ここでは、「子供の免疫力を上げるなんてのは、周囲の理解と愛情だけだ!絶対にそれを忘れてはいかん!薬で表面上綺麗に整えても、芯のバランス崩れとったらどっかかんかに出てくるもんだぞー」…などとお医者さんらしからぬ(?笑)発言が目白押しです。
ちょうど本日2度目の受診に行くと、こないだより随分いいな…と言われました。「うーん、誰かこの子をすごく急がせる人が周りにおるかい?圧迫感のある…」と聞かれたので、「5年生のお姉ちゃんかなー」と答えると「おねえ…」まで言った途端にパカーっと反応して(笑)。さもありなん…と私は苦笑い。
先生が仰るには、吃音者には胸の奥に悲しみや怒りが潜んでる場合が多いそうです。
毎度の激しい姉弟げんかですが、そうごなんか大嫌いっ!と叫ばれるのは、腹立つよりほんとは悲しいのかもしれませんね。ただ、きょうだいって難しくて、どちらかを叱ったり諭したりしてうまくいくパターンはほぼ無いです(笑)。性格が合わなくても縁が深い相手ではあるので、いつか分かり合えれば良いかなーと静観していましたが、それぞれ別々に、大事に思ってるって事を伝えていくしかないのかな。
これも相変わらずの我が家の課題ですね…^_^。
さて、うちの旦那さんは仕事が結構忙しく、アウトドアな趣味もないので、そうごと男同士の楽しみ方をあまりして来てませんでした。そろそろ男同士の秘密を持ってもいいかな…と思ってた所だったので、ちょうどいい機会です。男子チームと女子チームに別れて休日を過ごしてみました。
そうごとパパは近所のボルダリング施設に。少しずつ達成感を味わえるので、自信がつくんじゃないかしら…と前からやらせてみたかったスポーツです。案の定、とても楽しかったようで、センスあるって褒められた!と、何度も一生懸命私に話して来ました。
ちなみに5年生のネエネと私の女子チームは、電車でウインドウショッピングに。チーも長野に行ってていなかったので、2人きり。思いの外はしゃいだり甘えたりして来て、彼女にとってもこういう時間は貴重なんだなーと実感しました。ただ、女子は欲しいものいっぱい…お金がかかって大変ですがー^_^;。
そうそう。話が横道に逸れましたが、吃音者に良いのは、文字通り「言葉を忘れて」のめり込める趣味やスポーツだそうで、そこで達成感や充実感を味わえると自分に自信が付いてくるそうです。
通常、思考から自然にスルスル出てくるはずの言葉を「吃音を意識」して話そうとするのって、当人にしか分からない大変さがあるんだと思います。だって、普通に歩こうとしてるのに「右足、左足を交互に出して…右手と左手はどうなってる?上手に動かせてる?」なんていちいち考えてたら、つんのめってしまいそう。
ゴールをどこに置くか…。完全に吃音が出なくなる、いわゆる「治療法」を考えると、今の彼の状態では完治はシビアだと言わざるを得ません。流暢に言葉を話せるかどうかは未知数ですが、思った事を臆さずに伝えられて、自己肯定感を失くさずいられたらそれで良いのかな、と思っています。
ただ、それで良いのかな…と思ってるのは本人ではなく、あくまで私たち両親で。彼にとっては吃音とさよならしたいと強く望むかもしれないし、それを無理だと決めつけるのは私の仕事ではありません。やりたい治療法があればサポートしたり、引き続き探し続けて行くつもりです。
まぁどもらなくなるのに越した事ないですが(笑)、彼は彼です。かの乙武洋匡さんの名言に「障害は不便だけど、不幸ではない」ってのがあって、私はその感じが近いと思っています。吃音の不便さはあると思うけど、それが彼を不幸にする訳じゃないですよね。冷静に距離を置きながら、新しい情報を入れつつ、彼らしい方法を見つけて行けたらいいな、と思います。
江戸の子育てから学ぶこと
△今泣いたからすが…もう笑った!
以前に江戸の子育てに興味があって、色々と本を読みました。この記事で興味を持った方がいたら、図書館にもあるので読んでみて下さい。面白いですよー!
今回主に参考にしたのは以下の本です。
Amazon.co.jp: 江戸の子育て (文春新書): 中江 和恵: 本
Amazon.co.jp: 「江戸の子育て」読本―世界が驚いた!「読み・書き・そろばん」と「しつけ」: 小泉 吉永: 本
資料として残っている分は日本全国に渡る訳ではないでしょうし、情報も少なかったと思うので、色んな子育てはあったでしょう。 でも、残っている資料からは、実に考え抜かれた面白い子育て法が取られています。海外から視察に来た教育者の方々も、江戸の子育てについては驚いていたそうです。
1番の特徴は、母親はただの「産み親」として、産んだ人、との位置づけだった事です。その他は「仮親」と呼ばれる以下の親達がいました。
①取り上げ親(へその緒を切った人)
②抱き親(産まれた直後に抱いた人)
③行き合い親(②が家の外に出て最初に会った人)
④乳親(乳児を持つ、おっぱいがよく出る親が乳を与えた)
⑤拾い親(形式的に捨て子をして、拾った人が育てた後実母に届ける)
⑥名付け親(名前をつける。自分の漢字を1文字与える事が多かった)
⑦守親(幼児になるまで子守りする)
⑧烏帽子親(元服という11歳から16歳に行われた男子の成人の儀式に立ち会う)
どの役割にも、役、とか当番とかじゃなく、わざわざ「親」という字を当てていますね。きっと集落でのお産は今では考えられない程、母子ともに命がけだったんだと思います。そこで、無事に産まれた命が、母体が健康でいられなくてもちゃんと維持出来るように考えられたシステムなんでしょうね。それに農家などでは女性が専業主婦なんてあり得ませんからねー、家事だけじゃなく仕事もいっぱいで育児に専念なんて価値観自体がなかったのかな。
或いはもっとゆるい感じだったのでしょうか^_^?あの「親ラインナップ」を見ると、それぞれの得意分野を大人達が発揮していたような微笑ましさがないですか?
①から③は、縁の深さを大切にしていた感じですね。③なんて凄くないですか?通りすがりで親になっちゃうんです(笑)。大人が姿勢をピッと正す良いきっかけになりそうですよね。
④は栄養事情かな。当然ミルクもないし、母親の母乳の出が悪かったら死活問題ですからね!いーよ、いーよ、私が乳親になってあげる。いつでも飲ませにおいで…なんて感じかしら^_^。
⑤なんてのも、すぐに返すわけじゃなかったみたいですよ。しばらく育てて情が移れば、もう他人ではありませんからね。⑥には他人に対するリスペクトを感じます。自分の親族以外から名前の一文字をもらったり…って、今ではあまり考えられないですね^_^。
⑧なんてのも面白い!子供と遊ぶのが上手な近所のお兄さんなんかが、何人もの親になってるパターンもあったのかしら。⑨も、昔は子供の死亡率が高くて元服を無事に迎えるのはすごく大きな意味があったそうで、そこに立ち会うのは感慨深かったんでしょうね。
それから、興味深いのは農政学者の大原幽学さんが提唱した「換え子制度」です。簡単に言えば、村の中での相互ホームステイです。8歳から11歳くらいのいわば思春期入り口の子供をよそに預けるのです。それも年単位で!マッチングにも工夫されていて、貧しい子供を豊かな家に、豊かな子供を貧しい家に…など、違った価値観を体験する事に重きを置いていたようです。
それも、ちゃんとみんなが戸惑わずに受け入れられるよう、20か条くらいの実際の注意事項を残しています。具体的にこちらに記述がありました。その内容はとても素敵で、今の悩める親達に効く言葉が沢山ですよ^_^。
江戸時代の子育て〜仮親と子育てネットワーク (4)幼児教育の三悪 - るいネット
ともあれ、産まれた家に赤ちゃんの運命を任せず、周りの大人が出せる力を総動員して元服まで見守った様々な工夫が見られます。小さな命がその両親だけのものではなく、集落全体に産まれた命として当たり前に繋いでいった物なのでしょう。
きっと酒乱の父親のDVや、若くして望まない妊娠をしてしまう女の子もいたと思います。それでも産み親は無事に赤ちゃんを産み落としたら、よっしゃ後は任せとけ…!っていうおせっかいなおじちゃんおばちゃんが守ってくれたのかもしれませんね。
もちろん、人間関係に面倒ごとも多かったと思いますし、良い側面だけではなかったでしょう。集落にどうしても馴染めない人間なんかは生き辛かったと思いますし、ボス的な人のキャラクターによってはワンマン振りも発揮されたかもしれません。
それらをさっ引いても、産まれた家の両親がかなり運命を左右してしまう、各家に全ての責任を負わせてしまう、そんな現在よりはマタニティブルーや産後クライシスは感じ難かったんじゃないかしら^_^。それに、もし虐待死なんて事が起こったらそれは集落にとっての文字通りの一大事で、命を守れなかった事について本気で悔やむ大人が多数いたでしょうし、産み親だけのせいにするような無責任な社会ではなかったでしょう。
だって、赤ちゃんにとってはママの愛が全て…とか、赤ちゃんは産まれる両親を選んで来るのよ…って聞こえはいいですが、赤ちゃん側からしてみたら、かなりヘビーな状況だってあるはずです。近所のおじさんやおばさんが、よっしゃ…仮親を探して来ちゃる!あのダメな父親には任せとけんぞー!なんて、世代の違う人達も活躍出来たら、孤独に命を落とす赤ちゃんや幼子は減るんじゃないかな。
今現在にいきなりその制度は無理があるけど、学ぶべき所は学んで、今の形にマッチした「産み親」の、また「尊重されるべき幼い命」の、フォローを考えていけたらいいなぁ…と思います。
それぞれの死生観
△実家で子供達が作った鯉のぼり^_^。
何だか大げさなタイトルですが☆、末期の胃癌だったばあちゃんを自宅で介護していた頃からぐるぐる考え続けていた事です。
どーもどもっちゃって2 〜学校生活について〜
△はりきりニイニとお付きのチー^^。
さて、先日ニイニの吃音について書きましたが、その後の動きを報告します。まず、時間を作って頂きたい旨の手紙(ごくごく丁寧な文章で…笑!)と、吃音の本に載っていた先生用の資料を子供を通して渡し、担任の先生に懇談会の後お時間を頂きました。
伝えたい事をまとめておいて、なるべく簡潔に。大変そうだわ…とは伝わったけど、何だかぼんやり終わってしまうのは1番避けたいパターンですからねー^^;。
吃音は本人の努力でどうにかなるものではない。
ゆっくり話してごらん、とか、もう一度言ってごらん…と言われても、上手く話せる訳ではないこと。慌ててるからどもるんじゃない、ということ
小学校に入って張り切る際(発表や本読みなど)に出やすい。
分かる!と喜んで手を挙げても、初めの言葉が出てこない事が多い。答えが分かっていないのに手を挙げてる、と思われると傷つくということ
低学年の悪意のない(?とは言えない場合も…)からかいや真似はトラウマになりやすい
ヒステリックに相手を叱りつけるような気持ちはないけど、わざとしてるんじゃないから笑わないで欲しいこと
主にはこういった点ですが、なるべく吃音に関してもオープンにして行きたいと伝えました。つまり、他の生徒から質問されても「そんな事言うんじゃありません!」とはぐらかさないで、吃音っていう症状(とは言わなくても)だから話し終わるまで少し待っていようね…と言うような、なるべく受け入れてもらえるように導いて欲しいと言う事です。
吃音者は100人に1人位の割合だそうです。軽い方から会話が困難な重度の方まで色々ですから何とも言えませんが、話す事自体にコンプレックスを持ってしまうと、こじれて行く人も多いとか。
今から書く文章は以下の本を読んで私なりの解釈をしたものです。
Amazon.co.jp: 吃音のリスクマネジメント:備えあれば憂いなし: 菊池良和: 本
Amazon.co.jp: 子どもがどもっていると感じたら―吃音の正しい理解と家族支援のために (子育てと健康シリーズ): 広嶌 忍, 堀 彰人: 本
吃音を気にするなってどういう意味?
これはほんとによーく言われる事です(笑)。でも「気にしなければそのうち治るんじゃない?」って勘違いする人も多いと思う…。確かに幼児の頃の吃音は、知らないうちに治っていたというケースもあるらしいですが、「気にするな」というアドバイスは、避けたり無視したりする事じゃなくて、まずはそのまま受け入れよう、という意味。
ゆっくり話してごらん、とか、慌てないで落ち着いて!というアドバイスは何の効果もないそうです。何度も言い直しをさせるのは単なるストレスにしかならないので注意が必要です(だって、自分だってそれやられたら嫌ですよねー!)。そういう事を言わない、話したいように話させてあげるのが「気にしない」という意味。
また、吃音で悩んだ子供が「僕はどうしてこんな変な喋り方なの?」って相談して来たのを「気にするな、そのうち治る!」と、はぐらかす事とは根本的に違っています。
吃音者の家族ができること
どもりたくない…と意識すればする程、自然に言葉が出てこなくなるのが吃音の特徴でもあります。吃音者の話し方だけに家族が注目してしまうと、会話が楽しめないですよね^_^。上手・下手をジャッジするのはコミュニケーションじゃありません。何を伝えようとしてるのか、内容を聞いてあげること。
治そうと本人が思っているなら、一緒に治療法を試してみるのはもちろん大切ですが、完治を目指すのは酷だと知っておくこと。親や家族がそこに向かって必死になってしまうと、上手く出来ない事が大きな挫折感になってしまいます。髪を振り乱して車を2時間もすっ飛ばして、さぁあなたの為にこんな所まで来たのよ!結果出しましょうね!…なんて言われたら、、、そりゃ怖過ぎですよー!治りたいよね、スムーズに話したいよね。でも何を言っているのかちゃんと伝わってから大丈夫だよ。という位の肩から力の抜けたスタンスで付き合えたら…と思います。
吃音をタブーにしないこと
自分の事なのに、コソコソ深刻な顔で話し合われたら嫌だと思うんです。子供だって、ちゃんと分かるはず。その話題をタブーにしちゃうと、子供にも「隠さなくてはいけない、恥ずべきこと。治さなくちゃいけないこと」と刷り込まれます。
理想は本人が周りにカミングアウト出来る環境だそうです。子供の中では何だか分からない、お友達とは違う…つかみ所のない不安な症状でしょう。吃音という名前をちゃんと教えて、あなたが悪い訳じゃないんだよ、と伝えてあげるのも大切だと思います。
我が家の吃音オープン会議
さて、我が家の吃音Boyですが、先日お風呂で「何か話しにくい言葉で困ってる?」と聞いたら「はい、げんきです、の「は」が出ないの」と。よく聞くと、出欠の際に名前を呼ばれたらそう答えるらしく、もうすぐ順番だ…と思うと「………は、は、」となってしまう。2人で遊びながら練習しましたが、「こ、ここではうまく、い、くの。おれ、いっつもげんきなんだ、だけど。げんきって言うのが大変なの」と。
連絡帳にその旨を記入し、どうしてもらいたい…という話ではないですが、と前置きして、かくかくしかじか…と家での様子をお伝えしました。お風呂で一緒に練習しましたが、いつも元気だそうです。と書いたら、先生から「たしかに出にくそうな時があります。でも顔を見たらニッコリしてるので、今日も元気だね!と笑って次の子供に移ります」と優しいお返事を頂きました。
先生はお若くて、吃音の子供を持つのが初めてだそう。聡悟との出会いが今後の教師生活にきっとプラスになると思います(いや、決して上から目線で言っているのではありません…笑)。だって、大人達が多様性を認めないで、子供に「いじめは良くない…」とか言葉を重ねても説得力がありません。人と違うこと、少しフォローがいること、工夫をしながらコミュニケーションを取ること、どれを取っても社会で必要なスキルですよね。
今日の食卓で「吃音の人ってどれ位いると思う?ちなみにチーちゃんの病気は2万人に1人。学校で言うと20校に1人位なんだ。そう君みたいにお話する時につまっちゃう人はね、100人に1人位なんだって。ちょうど1年生に1人位いるんだねー」と話しました。
実はお風呂で隣のクラスの男子に真似されてからかわれた、と話して来たのです(この件に関しては連絡帳に書きました。叱って欲しい訳じゃなく、学年に周知してもらった方がいいな…と)。今日は我が家にとってちゃんと話をする機会でした。「からかって来たら、おまえかっこ悪いなぁ!って言ってやんな」と言ったら笑っていました。ママは人と違う事を笑ったりからかったりするのは1番かっこ悪いと思ってる。きっと、そう君はそんな事しないし、そういう事されてる子がいたら守ってあげられるよ。かっこいいねぇ!
それに、ママこないだ先生ともちゃんと話したよ。…と言ったら「せ、せんせい!知ってるの?」と思いがけずに嬉しそうな顔をしました。もっと早く話してあげたら良かったな…と反省しつつ、「先生は学校でのお母さんだと思って、何か嫌な事あったりしたら話してねって。忙しそうだったら帰ってからママに話そう。それにね「お話する時に詰まるくらい、ぜーんぜん大丈夫ですよー!!聡悟君大好きですー!」って言ってたよー」と伝えたらすごく安心したようでした。やっぱり学校は緊張する場所だったんでしょうね。味方がいる、と思えるのは大きな力になると思います。
チーちゃんが病気をして、その前のチーちゃんと何が違ってる?病気をしないに超した事ないけどさ、病気になったのはチーちゃんが悪い訳じゃないし、治っても治らなくても同じ可愛い妹のチーちゃんじゃん。それと同じなの。そう君が上手くお話出来ない事はそう君が悪いんじゃないんだよ。同じママのかっこいいそう君なんだ、分かるかな?
その時ははにかんで聞いていましたが、改めてベッドで「おれ、どうして、こんな、しゃべり、かた、なの?」。きっと彼なりにぐるぐる考えていたのでしょうね。「それがさー!ママも最近めちゃくちゃ勉強してるの。ちょっとした吃音博士だよ!でもねぇ、めちゃくちゃ頭のいい博士がいっぱいで考えても、原因が分からないんだって」「おれ、でも、なおる気がしないな」「うーん、いきなりスラスラお喋りになるのは難しいかもしれないね。でも、ゆっくりでも何を話したいのかが伝わってたらいいと思うんだよ。もし練習出来ることがあったら教えるね」と言うと、安心したみたいに寝たのでした。
はっきり言ってしまうと、色んな本に「完治を目指さないで共生していくべき」と書いてあります。それも一理あるのですが、絶対に治らないものだと認める必要もあるのかな?…と。まぁ治っても治らなくても、卑屈にならないで彼らしく人生を楽しめたらいいな…と思っています。
こうやって距離を置いて考えられるのも、チーの難病のおかげかもしれません。彼女の病気に置き換えたら、何でも認める気になりますよねー(笑)。世の中、しゃーない事がいっぱいなんです。こないだ「チーちゃんも病気だって言うのに…お兄ちゃんも吃音なんて、あなたも大変だね」というような事を言ってもらったのですが、どうも大変さにピンと来ないのは、私が楽天的だからでしょうか…??