はまねこ&チー MGぐるぐる日記

2歳目前に小児MGを発症した娘と4歳から吃音の息子、その家族の日々です

どーもどもっちゃって5 〜言葉のトレーニングを始めたこと〜

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 △段ボールをベランダに運び込んでオヤツ食べてます^^。

 

珍しく、続けてニイニの記事です^_^。先日書いた通り、ニイニの吃音について次なるステップに進む時が来たので、色々調べて名古屋市中村区にある「つばさ吃音相談室」を訪ねてみました。

 

こちらはいわゆる病院ではなく、代表をつとめる言語聴覚士の羽佐田さんが吃音改善を目指すプログラムを実践している相談室です。初回のカウンセリングは1時間程じっくり行われ「つばさ吃音相談室」のコンセプトがそれぞれに合うか合わないかをよく考えるように勧められます。

 

↓羽佐田さんはこちらの記事にも登場しています。

吃音と生きる1〜百万人の知られざる苦悩〜

吃音と生きる2〜「治す」ために何が出来るか〜

※余談ですが、この記事は本当に気持ちがこもっていて素晴らしいです。本人の苦悩は想像する事しか出来ませんが、すごくリアルに胸に迫ります。

 

小児の吃音の場合は、吃音者当人ではなく親などがカウンセリングを受ける形になります(退屈したそうごが走り回って恥ずかしかったです…^^;)。羽佐田さんはご自身が吃音者だった(だった…と過去形にしたくなる程流暢に話されますが、ご本人はまだ吃音者だと仰るかもしれません…)経験から、とにかく吃音を改善する為にやれる事を探すべきだ、という強い信念をお持ちです。

 

その辺りの事は、これまで私もさんざんぐるぐると考えましたが、周りが個性として認めるのは大切だと思いますが、吃音は「治らないのが当たり前」という常識については、ちょっと疑問が残っていました。必ず治る!と言うのが難しいのは分かりますが、治らない事を認めてそのままでいよう(流行のありのままで…ってやつですか(笑))…と言い過ぎるのもどうなのかしら…と。

 

特に最近はそうごから「お、お、おれ、つつつ、つ、つまりたくないんだ!ねぇどうしたら治るの?」と強い意思も出ていますので、どうにかして治療法を探したりトレーニングしたり…と、改善に向けて一緒にあがきたいなぁ…と思っていて。ただ、何度も触れていますが、吃音って医療関係に答えを求めるのが本当に難しいのです。何しろ原因も不明、治るかも不明、決まった投薬もない、治療法さえ確立されていません。ある意味チーの筋無力症よりも難しいかもしれませんねー>_<。

 

羽佐田さんとお話しすると、私が漠然と感じていた違和感にドスンとパンチが入った感じでした^_^。「そりゃ本人は治したいです。死ぬ気で治したい…って望みますよ!自分が話す事に困難を感じているのに、周りから「いいよ、いいよ、そのままで」とか「君は上手に話せなくったってサッカーは上手いじゃないか」と言われても、本人には酷ですよ、ハッキリ言って」だそうです^^;。困っている、という事実に向き合うのを周りから「そこは見なくてもいい」と無理矢理思わされるのと同じだ…との事でした。治したい!と希望を持つ事を一方的に断たれるのは辛い事ですよ、と。

 

また、心因性やストレス、繊細な子供が…とか、親が厳しい(一昔前ですね、これは。笑)、などなど…そのような原因論も「全世界で人口の1%、2歳から6歳でほとんどが発症してる。ストレスならそんな幼少期でなく、思春期や青年期に発症してもおかしくないし、環境が原因なら世界中でもっとばらつきがあるはずですよね?」とのこと。…た、確かに。最近では7割が体質だと考えられているそうです。

 

これらに関しては様々な考え方がありますし、もちろん吃音を認めて付き合うのも生き方の一つです。それについて逃げているとか云々、他人は絶対に口にするべきじゃないし、色んな葛藤を超えての事だとお互いに認めるのは大切な事です。吃音のままで生き生きと人生を謳歌される方も大勢いらっしゃると思います。ただ、そうごはタイプ的に「こんなのいやだ!みんなみたいに話したい!」とハッキリ口にしているので、治す為のトレーニングに通うのは合っているんじゃないかしら。

 

今はカウンセリングを受けて、本人や家族とも話し合い、通う事に決めた所。そうごは「うそ!?あんなにいっぱい話してたのに、先生もおれと同じだったの?…おれ、通う!そんで練習いっぱいする!」と張り切っています^^。楽しい遊びのプログラムとは根本的に違うので、やる気については今後色々出て来るかもしれませんが、5年後10年後の彼の為になると信じて通ってみようと思います。VTRを使った吃音検査法で何ヶ月か毎に効果を見て行くそうなので、吃音の状態が前進していたらまたやる気につながるかな。

 

家から車で1時間程度かかるのと、他の2人を実家に預かったもらう事、保険適用がなく実費で一回5000円かかるので、月に2回位しか通えないかなーと考えています。2回なら月に1万円、ちょっと高い習い事を始めた…と思って頑張れば出せる金額です。こんなこと、チーの鍼灸治療でも考えたような…(笑)。まぁ未来の為にかかる費用だという事ですね。

 

彼なりの歩みで少しずつ前進出来たらいいな、の希望を込めて^^。

どーもどもっちゃって4 〜原因よりも治療…について〜

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 △久しぶりにニイニの登場です。

 

 以前の記事はこちら。

ニイニの入学式〜どーも、どもっちゃって〜

どーもどもっちゃって2

どーもどもっちゃって3

 

前回の記事で耳鼻科に通っている所まではお話ししましたが、彼の吃音は良くなるでもなく…現状維持のまま、最近は国語の授業での本読み「おおきなかぶ」で大苦戦してるようです(笑)。それと言うのも、あ、い、う、え、お、は比較的発語が難しいようなんですが、「あまーいあまーいかぶになれ。おおきなおおきなかぶになれ」などと、このお話はとにかくア行が多いんです^^;☆

 

さて、以前の記事でも書いた通り耳鼻科の先生はとてもユニークな方(おじいさま☆)で、彼も気に入って通っていたのですが、少し前に気になる事がありまして…ちょっと足が遠のいてしまいました。

 

その事に触れる前に確認しておきたいのですが、こちらの記事はあくまで私の主観であり、誰の事も批判したり非難するのは本意ではありません。本当はブログに公開するのを迷っていたのですが、途中まで治療の一環として紹介していたので…その責任もあり、重い腰を上げた次第です。

 

ま、前置きが長過ぎますね…^^;!!どうぞ気軽な気持ちでサクサク読んで下さい(笑)。

 

先ほど書いた通り息子の吃音は相変わらずなんですが、家庭訪問にいらっしゃった先生によると、学校では積極的に手を挙げたり発表したり、お友達とも楽しく生活しているらしく、「治る気がしないな…」と静かな声で言っていた時よりは、メンタル的にはいい状態なようです。

 

周りに吃音のままで市民権を得たのかもしれませんね^_^。でも「治したい!」の気持ちは以前よりずっと強くなって来て、それは外部からのからかいではなく、自分がすらすら話せるようになりたい…という理想を持ち始めたという事でしょうね。

 

さて、本題に入ります。いつものように耳鼻科に行くと、いつものoリングの治療の後、ちょっとややこしい(?)辞典のコピーを渡されて、前世のカルマ的な?霊的な心当たり(平たく言えば先祖供養や親不孝などなど…)はないか?…と聞かれました。曰く、吃音を起こす子供は先祖の中に怒りに任せて人の話を遮りまくった人がいる、とか、筋無力症の子供は母親側の大親不孝(←ただの親不孝ではないのです…笑)とか、まぁそんな感じの内容です。

 

そういう世界は目に見えないだけで確かにあるんでしょうし、先生が積み上げて来た実績や想いを否定する気持ちはありません。何か見えない力の作用でどこか身体に影響が出る事もあるのでしょう。先生はきっと我が家のきょうだいを「妹は筋無力症で兄は吃音だとー⁉︎…何とかしてやらにゃならん!」と鼻息が荒くなってしまったのかもしれません^_^;。

 

ただ、病気や症状を安易にそこに繋げてしまったら、今現在治療に向かわざるを得ない患者や家族の気持ちに負担がかかるだけで、治療に関して前進にはならない気がして…正直な言葉を使えば「そう来ちゃったかぁ!」と思ってしまったのです^^;。

 

そもそも「親不孝をしているね!」とか「先祖供養が足りないね!」…と言われて「いいえ、完璧にやってます」と答えられる人がいるんでしょうか?「やましい事はどこにもないか?怒りっぽい人が親戚にいなかったか?」…と言われたら、探せば一人や二人いそうだし(笑)。

 

連綿と続いた命の果てに自分達がいる…そういう意味での先祖の方に対するリスペクトや感謝は当然必要な感覚だと思います。でも、これから私が生きて死んで子供達の先祖になった時、4代5代先の直接会えない未来の人達に墓参りがどうの、有り難がってないからどうの、って…そんな理由で良くない気を飛ばすでしょうか^_^;。

 

それにいつか孝行をしてもらう為に今の子育てをしてる訳じゃないしなぁ…。過去に命を繋げて下さった先祖に恥ずかしくない生き方も大事ですが、私はむしろ未来の子供達に恥ずかしくない選択をしたいんだけどなぁ、なんて思ったり…^_^;。 ただシンプルに、チーの病気やそうごの吃音を受け入れて一緒に悩みながらサポートをする、それが私の大きな仕事だと思っていて、病気を起こした原因よりも今はそちらに気持ちを傾けたいのです。

 

どんな出来事も「心の闇」になるか「出会いや気付きのきっかけ」になるか、本人次第じゃないかと思うし、その方向を間違わないように、遠くから灯台を灯し続けるのが子育てなんじゃないかしら。

 

誤解しないでいただきたいのは、先生にとっては善意からの診察であろう事と、その世界を信じて自己反省をして、結果良くなる方もいらっしゃるかもしれない…という事です。ただ、私がすごくぐるぐる考える、少々ややこしいタチの人間なだけで(笑)。

 

今回も頭から湯気が出るか…ってほど考えましたが、結果「そういうのもあるかもしれんけど、私にとっては今が大事だ…」という所に落ち着きました。

 

次の診察で感想を…と言われたので、どう言ったら伝わるかドキドキして向かいました。私は基本丸腰で生きてますし、先生が信じて来た事を否定したい訳でも対決して論破したい訳でもないのですが、その考えをそのまま受け入れる事は難しい、自分には思う所がある、とは伝えないといかんかなぁーと。まぁ向こうから話題をふってきたら話そう、そうじゃなかったらフェードアウトしよう、と決めて行ったら、完全スルーでしたー^_^;。まぁ、こういう事を考える必要があった時期なのかもしれませんね。

 

難病なんかを発症すると、とかく色々と外野がうるさくなる場合があります(笑)。食べると良いもの、オススメの健康法、宗教の勧誘から高額なサプリメント…それが善意からのアドバイスなら尚更、断るのも一苦労ですよね。どうかそのようなアドバイスをされる方は、今、患者や家族が病気や治療を受け入れながら、日常を生きる事に四苦八苦しているのをご理解頂きたいのです。せっかく良い事教えてあげたのに!あれをしたら病気なんて治っちゃうのに!…とは思わないで下さいませ^^。魔法のような物に縋り付きたいのは山々ですが、本当にそれを選ぶべきなのか、本人や家族がじっくりと向き合う時間はどうしても必要なのです。

 

私には見えないものを見るような大きな力はないけど、我が家の吃音と筋無力症の子供達が、誰かと自分を比べて妬んだり、心の闇じゃー!なんて騒いだりしないで、のびのび育って行く為の手伝いや応援の責任はあります。 親が出来るのなんてそんなもんだと思うんです^^。

 

そして、吃音に関しては次なるステップに進むつもりです。吃音の専門施設に相談に行く予定で、もし息子に合うなら少し通ってみようかな…と。先日予約の電話をしてみましたが、とっても心のこもった熱のある応対をしていただき、会う前から私も楽しみです。他の2人を実家に預かってもらって、その間は私と息子の2人の時間にしたいなーと思っています。いつも協力してもらって実家には感謝、感謝です^^。

 

もちろん耳鼻科と決別をした訳ではないので、本人から「行きたい」と希望が出たらいつでも受診するつもりです。いつもオープンをモットーにしている私ですが、今回の事は子供達には内緒にしてあります。彼らと先生との信頼関係は今回の私の考えとは関係のない話ですからね^^。

 

吃音も情報が少ないので、こちらでまた専門施設については報告させてもらいますね。今回はいつもになく歯切れの悪い記事で申し訳ないです…この記事が誰も傷つける事がありませんよう願っています。

ばあちゃん達の哲学

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△雲が夜を連れてきました^_^。

私の母と亡き祖母の共通の友人にはなちゃんというおばあちゃんがいます。いくつなのかな?80歳を超えたかしら。今でも一人でバスに乗って大好きな野球観戦に出かける元気な人です。何かしら人の良い所を見つける天才で、褒める所が見つからないと耳たぶとかまゆげとか、パーツを褒めてくれる…☆
 
例/「なんっという、福々した耳たぶ…ちょっと触ってもええかや。…思った通りの柔らかさだわ、こりゃー!ええよー、こーれーは、幸せだー!」って感じです^_^。
 
随分前になるけど、長野に住む弟の所に、母とはなちゃんと小さかったいくちゃんを連れて旅行に出ましたが、途中でナビの指示を読み違えた私がとんでもない山道に入ってしまい、車が一台ギリギリの道なき道を行く事に。偶然の成り行きでしたが、後ろで母といくちゃんは眠りこけ、助手席に乗ったはなちゃんとゆっくり話す時間になりました。
 
はなちゃんは朝鮮から日本に渡って来たいわゆる二世の方です。「言ってもしゃーない事はもう喋らん事にしとるんだわ」と笑いながらも、普段はあまり話さない戦争やその後の話をしてくれました。言葉が全くわからないままだったので、お子さんの小学校の教科書を借りて毎晩読み書きの練習をした事。近所の同胞のおじさん達がトンネル工事で沢山亡くなった事。お葬式も出せずに遺族の人たちみんなで助け合って暮らした事…。
 
そして日本に根ざして生きて行くと決心した時、はなちゃんは「日本の人のワル(悪口)言わんとやっていく」と決めたそうです。「よそ者だろうが何だろうが、ここで子どもを育てて生きてくのに、仲良うやるのが1番いい。あちらがどう思うとるとは知らんが、日本人だからどうじゃってのを言うようならここでは生きられん。そんときゃ帰るべきじゃ」
 
「今の若い人らには分からんような、泥水すするみたいな日々だったぞー。でもそれはもういいじゃ。ほんに大事なのは今じゃ。あんたは戦争知らんじゃろ?世間がどう言おうがそりゃーいい事!知らんで生きてけるなんて、ほんなもん素晴らしい!あんたらの子どもも知らんでおれたらいい」
 
はなちゃんが若い頃、悔しさに涙したり、何にも無くてお腹がすいて途方に暮れるような日々、自分で手に入れたその哲学が今の彼女の明るいキャラクターを作って行ったのかな。それとも元々持っていたはなちゃんの素質だったのかしら。ガタガタぐらぐら揺れる車内で、真っ赤に広がる紅葉を見て「うわぁー!こりゃー、なんたるスゴい!みっちゃん(私)、こんな冥土の土産に持ってくような見事な紅葉見せてくれて、ほんとにありがとう!道に迷ったか何だか知らんが、涙出るわ、こんな景色見とると…」とすごく感激してくれて。
 
その辺りで寝ていた母が起きて来て「うわっ!何、ここどこ?あんた迷ったの?!大丈夫なの?着ける?ねぇ着ける?」と騒ぎ出し、はなちゃんに「まぁそう言わんと、外見てみやぁ!こーんな紅葉、深い山入って来んと見れんに」とたしなめられ、何とか山を縦断して弟の家にたどり着きました。

戦争の事を話そうとすると、とかく力が入ってしまうものだけど、女性は特に、守るのは家族や子供の食卓であり、笑い合える日常だったはずで…。その頃を生きた女性と話すのは、今を生きる私達にとって大切な宿題なのかもしれません。
 
亡くなったばあちゃんも、嫁入りに持って来た大切な犬山焼きの器を、結婚が決まった私に「あんたは大事にするやろう。そういう人が持ってるのがいいんや。私はそう思う」と、ポンとくれました。とても無口で不器用でしたが、他人の悪口は言わない人でした。そう決めていたのかどうなのか分かりませんが、私たちには説明しない哲学を確かに持っていたと思います。時代の波に最も翻弄された時代を生きた人たち、価値観が根こそぎひっくり返る中で手放さなかった、または手に入れたものなのかもしれません。
 
私はいくちゃんの前に流産で亡くした命があります。その時に病院の先生に「目鼻がはっきりする前でまだ良かった」とか「死産の人もいる。この週の流産はよくある事だし、産まれても多分リスクがある。いわば自然淘汰だ。」と言われ(きっとそういう時に説明する事で悪気も何もないと思うので、そのお医者さんについてどうこうは思いませんが)、そう思うべきなんだ…と考えると泣けなくて、その後3ヶ月間不眠に。それも身体の問題なのかと思い込んでいたのですが、3ヶ月も経って堰を切ったようにワァワァ泣いて、やっと眠れるようになりました。他の誰かにはどうでも、私にとっては、宿ったと分かった時からもう「命」だったのです。
 
哲学ってほどじゃないけど、その時「他人の悲しみを誰かと比べない」と決めました。悲しみや乗り越えないと行けない壁はその人だけのもので、それ以上の人を探して安心したり納得したりする事じゃないと思います。家が浸水して大変な人に「家も家族も流された人だっているんだ。それを思ったらこれくらいで済んで良かったね」と声をかけたら、その人は泣けなくなってしまいます。自分がそう思って壁を越えるのはいいですが、他人が言う事じゃないっていうか…。傷ついた人を慰めるのは難しいですが、その人の痛みに寄り添う気持ちを忘れたくないなぁと思います。

先日の沖縄の慰霊の日、一日中ぐるぐる考えていました。3人の子供と暮らすようになった今、旦那は戦争に行ってていない、母親の立場で何とか子供を守らなきゃ!というのは相当なプレッシャーだったと。そして家族の誰が欠けても大きな喪失感なのに、涙する間もなく、何とか日常をこなさないといけなかったんだ…と思うと、当時若かったオジイやオバアが戦火の中を逃げ切ってここまで生きて来ただけでも、本当にすごい事だと思います。

世界中で競って空から爆弾を落とし合ったのはほんの二世代前の出来事…。地上戦なら尚更、そこに武器を持った軍人さん達がいた訳で、恐怖心は長い間人々に大きな影を落とした事でしょう。

色んな意見がありますし、基地にしても安保問題にしても簡単なことではありません。妄想好きな私にも良い案が浮かばず、ウンウンうなり続けています^_^;。でも白か黒かってヒステリックに怒鳴り合うより、お互いが何を大切にしているかを丁寧に擦り合わせて、仕事や党派の枠を超えてアイデアを出し合い、亡くなった方々やこれから繋がる命たちに恥ずかしくない選択に持っていけたら…と願ってやみません。

ネイティヴアメリカンの方の大切な会議では、7代先の命の席があるそうです。未来の、決して自分では会えない命に会議に参加してもらって話し合えば、背筋を伸ばさずにいられませんよね^_^!見習いたい…そして7代先の方の意見を聞いてみたいです。

医療格差をなくしたいなー 妄想編

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△3歳になったチー。お姉さんになりかけています^_^。

こちらは「妄想シリーズ」の最新版です^_^。

以前の記事はこちら

hamaneko13.hatenablog.com

 

先日、LINEの小児MG患者の親の情報交換で胃薬についてのやり取りがありました。ステロイドのフォロー用に出されている胃薬について、出されている人、出された事のない人、朝昼晩飲んでいる人、1日1回の人…などなど、見事にバラバラで、出されていない人のお子さんが腹痛で悩んでいらっしゃる、との事。ちなみにチーが飲んでいるアルファロールという骨粗しょう症のフォローの薬も出されていない方が多いです。

 

実は同じ病気でも、普段は患者さん同士が薬をどんな種類、どれだけ処方されているかってあまり確認し合わないでしょう?でもこうやって情報を開示し合ってみると、小児MGという同じ病名でも、薬の量や種類など実に様々です。特にステロイドのフォローについてはいわばオプション(…と言うのは本当におかしいのですが、ステロイド=副作用…これはセットだからやむなしだという認識が多いのです…T_T)で、特に差が出る部分です。

 

そこで、どうしてこんなに色んな見解があるのか、もっとオープンにならないのか、久しぶりに妄想してみました。 

 

まず、患者側の素朴な疑問や願いの最たるもの、それは「東京などの大都市でしか最新の治療を受けられないなんて困る」という事でしょう?今の病院、この先生で大丈夫なのか、特に子供が患者の場合は身体の説明も上手く出来ないし、親が色んなやり取りを代理でする事になるので心配は尽きません。

 

では先生の立場に立って考えたらどうなんでしょう?勉強から逃げ回っていた私とお医者さんではあまりにも違うとは思いますが、基本的には同じ人間です…よね(笑)?と言う訳で多少強引に妄想してみたいと思います。お医者さんからは失笑が出るかもしれませんが、それはそれ☆…元気出して行きましょう^_^!

 

私がお医者さんで、よく分からない症状の患者さんと出会うとする。「何だろう?こういう症状見た事あったかなー、いつか授業でやったっけ?…ヤバい、よぅ分からん!」…こういう事ってあると思うし、あって当たり前だと思います。患者の診察ってぶっつけ本番なんですもん。そういう時、どうするのかしら。自分の先輩に聞く?同僚に相談する?様子を見る?でも次々に軽い症状やしんどそうな症状の患者さんがやって来ます。

 

じっくり向き合って、考えて、勉強する時間はあるのだろうか??少し引っかかる所があっても、激務の中で流れて行っても仕方ないような気がして。じゃあどうすればいいのか?を勝手に妄想してみます。

 

「診断名がおりる」…これは患者にとってショックな事ではありますが、まずはここに辿り着かないと治療がスタート出来ません。それに特に難病などの珍しい病気の場合、診断名がおりなくて苦労される患者さんはとても多いと聞きます。私の友人も20代でリウマチを発症した時「こんな若さでそれはない…」とお医者さんに言われ、なかなか診断名がおりませんでした。

 

治療を速やかにスタートするのは、どんな病気でもとても大切です。そこから患者さんは治療以外にも日常の様々な事を乗り越えて行かなくてはなりません。小さな子供なら家族ぐるみで、思春期なら学校生活や勉強、働き盛りなら仕事、若くてもお年でも、一人一人には違う人生があり、そこにプラスした治療のスタートです。お医者さんにとっては1日に何人も診る中の1人でしょうが、患者や家族にとっては100%の存在なんです。まぁ当たり前なんですけどねー^_^!

 

お医者さんがもし診断に迷った時に「分からない」という事を受け止めて、素直に相談する事が出来たらどうでしょう?病院の系列を超えてその道のプロに質問出来たら心強いんじゃないかなぁ。誰しも誤診をしようと思ってやってる訳じゃないでしょうし、正しい診断名をバシッと伝えられた方が気分良いに決まってます。

 

そこで考えたのは、 疑わしいと思えた病名についての所見を、どこかWeb上に投げかける事が出来る。今私たちがやっている患者の会のお医者の会みたいなイメージです。院内でのカンファレンスの全国版って感じになるのかな? どんなお医者さんでも大学時代に論文を書くためにしゃかりき勉強した経験があるはず。それが毎日の業務にすぐに活かせている訳ではないかもしれません。ある特定の研究をしていたとしたら、ピンと来る方がいるんじゃないかしら。

 

そこで若い先生から経験豊富な先生まで混じり合って活発にディスカッション出来たら、いくつか疑わしい病名を絞り込めて、具体的な検査に繋げて行けるかな、と。

 

「そんなもん、とっくにやっとるわー!」…という声が聞こえて来そうですが、院内や系列病院に関わらず、ざっくばらんに話す事って出来るのかな?私の友人のリウマチのように、思い込みで軽く考えて「様子を見ましょう」なんて2ヶ月先に予約してたら進行しちゃう病気だってあるんです。西洋医学や東洋医学などのジャンルも超えて、薬の副作用についての相談なんかもフォロー出来たら有り難いんじゃないかなー。

 

NHKの「ドクターG」っていう番組で病名を探し当てるのをやっていますね。あれと近い感じです。診断書みたいなひな形があって、そのフォームに記入して動画など添付したりSkypeなどで遠隔セカンドオピニオンなんかも出来たらいいかな。「自分としては「○○」や「○○」を疑っていますがどうでしょう?」って感じになるかしら。もっと細かい検査結果や血液データなども必要でしょうね。個人のプライベート問題が出てくるのかな?でも患者さんからしたら、しっかり話し合ってもらった後の診断名が出た方が嬉しいと思うんだけど…。

www4.nhk.or.jp

 

それからもう一つ。診断名がおりた後の事です。難病などの珍しい病気などを受け持った場合、報告を義務づけるのはどうかしら。それぞれの病名によって担当病院を決めてあって、そこに情報が集約されるイメージです。

 

投薬量や病気によって出て来る他の器官へのリスク、検査方法(ちなみに小児MGではステロイドのフォローについて、筋反テストをやるかどうか…その際の麻酔の有無、神経眼科への受診など、これだけでも様々あります)気をつけるべき事など、情報が一本化されていると安心ですよね。

 

ステロイドの減量方法や、薬が上手く効かなかった場合の他の道…など、そこに聞けば日本だけじゃなく世界の最新の治療方法が分かる場所です。患者さんが高いお金を払って手に入れている診断書。ありゃ一体何に使われてるんだー!?こういう場所でこそ活かして欲しいものです^^;。

 

私はチーの病気のデータを、これからかかるかもしれない沢山の患者さんに活かして欲しいし、難病患者にはその責任があるんじゃないかな…と思っています。東洋医学でのステロイドフォローなど、情報が欲しい方は必ずいると思うんです。その為にこのブログを立ち上げたのですが、ここはあくまで患者側の気持ちであり記録です。どうかお医者さんにも難病患者の診断データを活かす努力をして欲しいです。

 

今回の胃薬の件は小さな事かもしれないけど、そういう事って沢山あるような気がしていて。本当に詳しい先生が診てくれてるのか…ステロイドは適量なのか…患者さんはいつも先生を信じるしかない、という気持ちで受診しています。こういうシステムが確立されたら、お医者さん自身も楽になるんじゃないかなぁ。全国のお医者さん同士が情報をシェアして共に進んで行けたらお互い刺激や学びにもなると思うし。

 

そして願わくば、患者の会とお医者の会は時々でいいから情報交換し合えたらいいな。患者さん同士ってお医者さんとはまた違った意味で、日常を生きて行くための最新情報?というか、工夫をたくさん持っています。お医者さんは医療のプロでしょうが、患者さん達は病気を抱えた生活のプロです。今は遠すぎる関係を、お互いにリスペクトしあって補い合えたら強いと思うんだけどなぁー。何とかならないかなぁー!

チー3歳になる!〜おっぱいバイバイ〜

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△あたし、3歳…!と起きてきました^_^。

 

早いもので、昨年退院日に看護婦さんや先生達から沢山ハッピーバースデイ♪の言葉をもらってから1年が経ちました。今日はチーの誕生日^_^。少し前からワクワクが止まりません…小さな頃ってこんなに年を重ねるのが楽しみなんだーと、子供達の誕生日は迎える度に新鮮な気持ちになります。

 

この歳になったら○○が出来るようになる…もっと成長するんだって、何の疑いも無く信じられる所が眩しいですよね(笑)。チーの場合は初対面の人に挨拶するのは3になってから…と言っていました^^;。そして、今朝早速マンション下で会った人に元気にあいさつ。す、すごい、誕生日効果…!

 

先日は2泊3日で、長野で田舎暮らししている弟の所に実家の両親に連れて行ってもらいました。小さい頃の旅は嫌でも誰かのお世話になるので、近しく感じる人が増えるのは大きな収穫ですね。そこで2泊もするからそのまま卒乳するんじゃないか?って言われていたのですが、帰宅したらすぐにおっぱいに飛んできました^^。夜泣きをしなかったって事は、起きて(そっか、そうだった)と諦めて寝たんじゃないかと。

 

かねてから、おっぱいとは3になったらバイバイする…!と自分で宣言していた彼女。昨日はおっぱい最後の日だ、と朝から晩までおっぱいに張り付いていました^^;。そしてネンネトイレに行った時「わ、おっぱいさんと今日で最後だー!」と。夜中も何度も何度も起きておっぱい(笑)。名残惜しいようですが、しっかり自分で決めて実行しようという気合いを感じました^^。

 

しかーし!朝は元気におっぱいバイバイの儀式(桶谷式なんですが、おっぱいに顔を書いてサヨナラしました^^)も出来ていたのですが…。寝る段になると「そんな約束どうでもいいじゃん、おい、出せよ出せったらよー!」と人が変わったように大暴れ(笑)。 その後もシクシク泣いたり、わーわー叫んだり、暴れたり転がったりしながら大騒ぎしていましたが、疲れて泣きじゃっくりしながらやっと寝ました^^;。…いや、また起きるかもー!?

 

子供にとっておっぱいとサヨナラするのは、1番最初のハードルなんでしょうね。とりあえずであり絶対の安心感!すぐに出て来て助けてくれる、天然精神安定剤。昨年の入院時には本当に一日中張り付いてたのを思い出します。色んな場面を一緒に超えた仲間と袂を分かつようなイメージですが、きっとその先には成長があるんですよね。

 

我が家は3きょうだいとも3歳頃まで飲んでいました。夜中の授乳は大変でしょ?と言われましたが、あれはあれで良い思い出です^^。一心不乱に飲んでる時の動物感(?笑)とシンとした空気感は結構好きでした。

 

3きょうだいの長ーい授乳生活を終えて、今は自分の身体ながらお疲れさまでした、と言いたいです^^。授乳って、自分が誰かの食べ物になる…ある意味深い体験ですよね。栄養だけじゃない、色々を与えられたんじゃないかなーなんて思います。

どーもどもっちゃって3 〜おれ、治したい!宣言〜

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△いやに真剣にシャボン玉飛ばしてます!

 

この記事は6歳ニイニの吃音についてのシリーズになっています。

以前の記事はこちら。

ニイニの入学式〜どーも、どもっちゃって〜

どーもどもっちゃって2

 

4歳頃から始まったニイニの吃音ですが、最近本人も学校生活で不便を感じているようです。先日、お風呂で「どこか練習したり治療したりする所を探してみる?」と聞いたら「そんなん、おれ、治したいわ…!!」と初めて強い調子で言いました。今まで何度か同じ質問をして来ましたが、「うーん」…という曖昧な返事がほとんどだったので、よっぽど気持ちにこたえる所があるのでしょうね…^_^;。

 

聞いてみると、何か嫌な事を言われる訳じゃなく、ただ伝わらなくて、毎度聞き返されるのが億劫みたいです。「俺の話は、分からんみたい」と言っていました。

 

さて、治したい!と、その声が出たならなるべく早く、協力する姿勢を見せると決めていました。

「魔法みたいに、チャラララーン♫…と治ることはないこと」

「苦い薬(東洋医学も視野に入れたいので、漢方など…)を飲むかもしれないこと」

「行ってみて合わない所もあるかも。一箇所ですぐに決まらないかもしれないこと」

を理解してもらい、了承出来るなら一緒に頑張ろう。お母さんは色んな人に聞いたりパソコンで調べたりして、情報を集めるね。そう君がやってみて合わなかったり嫌だったら正直に話し合おう。オッケーですか?

 

ということで、最近ネットで調べまくってるのですが…いやー!チーの難病と大差ないほど情報が少ないんですー(~_~;)。辿り着いても就学前の子供が対象だったり、発達相談と併設だから、小児科で発達関係の診察を受けてから、紹介してもらう形を取らないといけなかったり…。

 

何しろ、医療的に吃音ってくくりの分類が難しいみたいで…>_<。病院にかかるなら神経科か精神科になるようですが、それだと大きくなってからのストレスなど心因性の緩和に重点がおかれそうでしっくりこない…。言語聴覚士さんがいても吃音がフォロー出来るかどうか、その方の専門性による所が大きいようです。

 

おー、これはまさに…!難病と同じ…行ってみて専門医かどうかは運次第…と行った感じでしょうか^^;。

 

いくつか電話で質問してみましたが、あまりピンと来ません。だからと言って、彼の強い気持ちを思えば、ズルズルと日延べしちゃうのもどうかな…と。

 

そういう訳で、まずは本人が行ったことのある名古屋のお隣、尾張旭市の「ヒダ耳鼻科」を受診して来ました。

 

この耳鼻科、知る人ぞ知る変わった診察をしてくれる病院です。ホリスティックといって病気を診断名で見ずに全体の流れとして診る…といえばいいかしら。身体のあちこちに触れながらOリングで原因を探って行きます。耳鼻科の診療時間に行けば、保険適用内で診てもらえます。そういった病院なので、受付で「どうされました?」と聞かれて「吃音で…」と答えても全然驚かれません^_^;。

 

まぁ、ここで説明しても怪しさは増すばかりですね…(笑)。とにかく、そちらに行ってみた訳です。

初めに先生(かなりおじいさまです)から「吃音って言うけどなぁ!ほんなもんは単なる症状にすぎん!全部の流れの中でのバランスだ。全部って分かるか?息子の身体だけじゃないぞ…お前さん達家族や環境、全部が無関係じゃないんだ」と一喝されます(笑)。ここで怯んでいては話が進まないので、神妙にはい、と答えると、「夫婦仲はどうだ!?」「まぁ良い方だと思います」「ふーん、まぁいい。診てみよう」

 

メモを取ろうとしたら「そんなもん!頭で考えるからいかんのじゃ!勉強なんかしなさんな。お母さんは学術的な勉強せずにちゃんと本人を見ろ」と怒られてペンをしまいます。終始そんな感じなので、親子ともに怖くなってしまう人には向かないかもしれませんね^_^;。

 

でも、なぜかチーもそうごも先生が大好きなようで。興味津々…って感じで診察を受けていました。紙コップにお水を入れて持たされ、身体中に触れながら「お母ちゃん」「お父ちゃん」「学校」…などと聞いて行きます。それで反応を返した所がキーポイントと考えられる訳です。そうごは「お父ちゃん」に反応したので、それをいわゆるヒントみたいにして、関係性を見つめ直します。

 

最後にそのお水を飲み干して治療は完了。

 

全体の流れを整えるなんて、つかみ所のない曖昧な治療ですが、そうごは「ここに通う」ときっぱり言いましたので、何かしら感じるものがあったのでしょうね^_^。チーと2人で週に一度、しばらく通ってみようと思います。

 

ここでは、「子供の免疫力を上げるなんてのは、周囲の理解と愛情だけだ!絶対にそれを忘れてはいかん!薬で表面上綺麗に整えても、芯のバランス崩れとったらどっかかんかに出てくるもんだぞー」…などとお医者さんらしからぬ(?笑)発言が目白押しです。

 

ちょうど本日2度目の受診に行くと、こないだより随分いいな…と言われました。「うーん、誰かこの子をすごく急がせる人が周りにおるかい?圧迫感のある…」と聞かれたので、「5年生のお姉ちゃんかなー」と答えると「おねえ…」まで言った途端にパカーっと反応して(笑)。さもありなん…と私は苦笑い。

 

先生が仰るには、吃音者には胸の奥に悲しみや怒りが潜んでる場合が多いそうです。

 

毎度の激しい姉弟げんかですが、そうごなんか大嫌いっ!と叫ばれるのは、腹立つよりほんとは悲しいのかもしれませんね。ただ、きょうだいって難しくて、どちらかを叱ったり諭したりしてうまくいくパターンはほぼ無いです(笑)。性格が合わなくても縁が深い相手ではあるので、いつか分かり合えれば良いかなーと静観していましたが、それぞれ別々に、大事に思ってるって事を伝えていくしかないのかな。

 

これも相変わらずの我が家の課題ですね…^_^。

 

さて、うちの旦那さんは仕事が結構忙しく、アウトドアな趣味もないので、そうごと男同士の楽しみ方をあまりして来てませんでした。そろそろ男同士の秘密を持ってもいいかな…と思ってた所だったので、ちょうどいい機会です。男子チームと女子チームに別れて休日を過ごしてみました。

 

そうごとパパは近所のボルダリング施設に。少しずつ達成感を味わえるので、自信がつくんじゃないかしら…と前からやらせてみたかったスポーツです。案の定、とても楽しかったようで、センスあるって褒められた!と、何度も一生懸命私に話して来ました。

 

ちなみに5年生のネエネと私の女子チームは、電車でウインドウショッピングに。チーも長野に行ってていなかったので、2人きり。思いの外はしゃいだり甘えたりして来て、彼女にとってもこういう時間は貴重なんだなーと実感しました。ただ、女子は欲しいものいっぱい…お金がかかって大変ですがー^_^;。

 

そうそう。話が横道に逸れましたが、吃音者に良いのは、文字通り「言葉を忘れて」のめり込める趣味やスポーツだそうで、そこで達成感や充実感を味わえると自分に自信が付いてくるそうです。

 

通常、思考から自然にスルスル出てくるはずの言葉を「吃音を意識」して話そうとするのって、当人にしか分からない大変さがあるんだと思います。だって、普通に歩こうとしてるのに「右足、左足を交互に出して…右手と左手はどうなってる?上手に動かせてる?」なんていちいち考えてたら、つんのめってしまいそう。

 

ゴールをどこに置くか…。完全に吃音が出なくなる、いわゆる「治療法」を考えると、今の彼の状態では完治はシビアだと言わざるを得ません。流暢に言葉を話せるかどうかは未知数ですが、思った事を臆さずに伝えられて、自己肯定感を失くさずいられたらそれで良いのかな、と思っています。

 

ただ、それで良いのかな…と思ってるのは本人ではなく、あくまで私たち両親で。彼にとっては吃音とさよならしたいと強く望むかもしれないし、それを無理だと決めつけるのは私の仕事ではありません。やりたい治療法があればサポートしたり、引き続き探し続けて行くつもりです。

 

まぁどもらなくなるのに越した事ないですが(笑)、彼は彼です。かの乙武洋匡さんの名言に「障害は不便だけど、不幸ではない」ってのがあって、私はその感じが近いと思っています。吃音の不便さはあると思うけど、それが彼を不幸にする訳じゃないですよね。冷静に距離を置きながら、新しい情報を入れつつ、彼らしい方法を見つけて行けたらいいな、と思います。

江戸の子育てから学ぶこと

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△今泣いたからすが…もう笑った!

 

以前に江戸の子育てに興味があって、色々と本を読みました。この記事で興味を持った方がいたら、図書館にもあるので読んでみて下さい。面白いですよー!

 

今回主に参考にしたのは以下の本です。

 

Amazon.co.jp: 江戸の子育て (文春新書): 中江 和恵: 本

 

Amazon.co.jp: 「江戸の子育て」読本―世界が驚いた!「読み・書き・そろばん」と「しつけ」: 小泉 吉永: 本

 

 資料として残っている分は日本全国に渡る訳ではないでしょうし、情報も少なかったと思うので、色んな子育てはあったでしょう。 でも、残っている資料からは、実に考え抜かれた面白い子育て法が取られています。海外から視察に来た教育者の方々も、江戸の子育てについては驚いていたそうです。

 

1番の特徴は、母親はただの「産み親」として、産んだ人、との位置づけだった事です。その他は「仮親」と呼ばれる以下の親達がいました。

 

①取り上げ親(へその緒を切った人)

②抱き親(産まれた直後に抱いた人)

③行き合い親(②が家の外に出て最初に会った人)

④乳親(乳児を持つ、おっぱいがよく出る親が乳を与えた)

⑤拾い親(形式的に捨て子をして、拾った人が育てた後実母に届ける)

⑥名付け親(名前をつける。自分の漢字を1文字与える事が多かった)

⑦守親(幼児になるまで子守りする)

⑧烏帽子親(元服という11歳から16歳に行われた男子の成人の儀式に立ち会う)

 

どの役割にも、役、とか当番とかじゃなく、わざわざ「親」という字を当てていますね。きっと集落でのお産は今では考えられない程、母子ともに命がけだったんだと思います。そこで、無事に産まれた命が、母体が健康でいられなくてもちゃんと維持出来るように考えられたシステムなんでしょうね。それに農家などでは女性が専業主婦なんてあり得ませんからねー、家事だけじゃなく仕事もいっぱいで育児に専念なんて価値観自体がなかったのかな。

 

或いはもっとゆるい感じだったのでしょうか^_^?あの「親ラインナップ」を見ると、それぞれの得意分野を大人達が発揮していたような微笑ましさがないですか?

 

①から③は、縁の深さを大切にしていた感じですね。③なんて凄くないですか?通りすがりで親になっちゃうんです(笑)。大人が姿勢をピッと正す良いきっかけになりそうですよね。

 

④は栄養事情かな。当然ミルクもないし、母親の母乳の出が悪かったら死活問題ですからね!いーよ、いーよ、私が乳親になってあげる。いつでも飲ませにおいで…なんて感じかしら^_^。

 

⑤なんてのも、すぐに返すわけじゃなかったみたいですよ。しばらく育てて情が移れば、もう他人ではありませんからね。⑥には他人に対するリスペクトを感じます。自分の親族以外から名前の一文字をもらったり…って、今ではあまり考えられないですね^_^。

 

⑧なんてのも面白い!子供と遊ぶのが上手な近所のお兄さんなんかが、何人もの親になってるパターンもあったのかしら。⑨も、昔は子供の死亡率が高くて元服を無事に迎えるのはすごく大きな意味があったそうで、そこに立ち会うのは感慨深かったんでしょうね。

 

それから、興味深いのは農政学者の大原幽学さんが提唱した「換え子制度」です。簡単に言えば、村の中での相互ホームステイです。8歳から11歳くらいのいわば思春期入り口の子供をよそに預けるのです。それも年単位で!マッチングにも工夫されていて、貧しい子供を豊かな家に、豊かな子供を貧しい家に…など、違った価値観を体験する事に重きを置いていたようです。

 

それも、ちゃんとみんなが戸惑わずに受け入れられるよう、20か条くらいの実際の注意事項を残しています。具体的にこちらに記述がありました。その内容はとても素敵で、今の悩める親達に効く言葉が沢山ですよ^_^。

 

江戸時代の子育て〜仮親と子育てネットワーク (4)幼児教育の三悪 - るいネット

 

ともあれ、産まれた家に赤ちゃんの運命を任せず、周りの大人が出せる力を総動員して元服まで見守った様々な工夫が見られます。小さな命がその両親だけのものではなく、集落全体に産まれた命として当たり前に繋いでいった物なのでしょう。

 

きっと酒乱の父親のDVや、若くして望まない妊娠をしてしまう女の子もいたと思います。それでも産み親は無事に赤ちゃんを産み落としたら、よっしゃ後は任せとけ…!っていうおせっかいなおじちゃんおばちゃんが守ってくれたのかもしれませんね。

 

もちろん、人間関係に面倒ごとも多かったと思いますし、良い側面だけではなかったでしょう。集落にどうしても馴染めない人間なんかは生き辛かったと思いますし、ボス的な人のキャラクターによってはワンマン振りも発揮されたかもしれません。

 

それらをさっ引いても、産まれた家の両親がかなり運命を左右してしまう、各家に全ての責任を負わせてしまう、そんな現在よりはマタニティブルーや産後クライシスは感じ難かったんじゃないかしら^_^。それに、もし虐待死なんて事が起こったらそれは集落にとっての文字通りの一大事で、命を守れなかった事について本気で悔やむ大人が多数いたでしょうし、産み親だけのせいにするような無責任な社会ではなかったでしょう。

 

だって、赤ちゃんにとってはママの愛が全て…とか、赤ちゃんは産まれる両親を選んで来るのよ…って聞こえはいいですが、赤ちゃん側からしてみたら、かなりヘビーな状況だってあるはずです。近所のおじさんやおばさんが、よっしゃ…仮親を探して来ちゃる!あのダメな父親には任せとけんぞー!なんて、世代の違う人達も活躍出来たら、孤独に命を落とす赤ちゃんや幼子は減るんじゃないかな。

 

今現在にいきなりその制度は無理があるけど、学ぶべき所は学んで、今の形にマッチした「産み親」の、また「尊重されるべき幼い命」の、フォローを考えていけたらいいなぁ…と思います。

それぞれの死生観

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△実家で子供達が作った鯉のぼり^_^。


何だか大げさなタイトルですが☆、末期の胃癌だったばあちゃんを自宅で介護していた頃からぐるぐる考え続けていた事です。

 
何もない時に、死ぬ事や病気、不慮の事故の話をするのって縁起が悪いと言われちゃうけど…。私は元気な時にこそ、もしもの時にどうして欲しいかを家族で話し合っておきたいと思っています。
 
ほんとにその時が来たら同じ気持ちではいられないかもしれないけど、健康な思考の時の希望を知ってるだけで、もしもの時に周りの葛藤の助けになると思っていて。
 
8年前に亡くなったばあちゃんの癌は、スキルス性の胃癌(患部を切って治療出来るタイプではなく、スポンジのように全体にジワーッと広がった状態…と説明されました)で、発見された時には手の施しようがない状態でした。ギリギリまで元気だったので、家族にとってはまさに青天の霹靂…。
 
そこでまず、告知の有無が出てきます。ばあちゃんの娘(私の母は次女)は三姉妹揃って、告知には否定的でした。ガックリと生きる力を落としてしまうんじゃないか…と心配したのです。私たち孫は、どちらかと言うと告知すべきという意見。ばあちゃんはきっと気付くだろう、それに気付いた時に皆が隠してたら、知ってて知らないふりをさせなくちゃならないんじゃないかって…それが心配で。
 
結局、ハッキリと答えが出ないまま、ばあちゃんの方から「わしゃ、癌やろぅ?」と、誰が聞かれたのか、どう答えたのか…。そこから先は記憶が曖昧なのですが、皆の葛藤はよく覚えています。
 
私はもっと若い頃から、なぜか「逝く人の気持ち」みたいなものに共感する事があって、残して行く人の幸せだけを絶対に願ってる…と強く思うのです。以前オーラなどが視える方にお話を伺ったら、どうやら私の魂はものすごい高齢だそうで(笑)。

臓器の提供などについても、使える物は全部使って欲しい…と旦那には伝えてあります。もし身体から魂が出て行って、少し上から見ていたら「鮮度が命…!!急いで運んでーっ!」と願ってるはずだからねって。

ウチの親戚のおじさんで、腎臓が悪くて臓器提供を受けた方がいます。おじさんや家族が何年も何十年も待っていたのを身近で見ているのも大きいかもしれません。

自分の愛する人の臓器提供に関しては、そこまで割り切るのはさすがに難しいはず…。なので、自分としてはこういう希望を持っている…と伝えておくのは大切かな、と思うのです。

ちなみに私は、告知の有無を「必ずしてくれ」と話しましたが、旦那は「俺はどうしよう…聞いたら生きる気力が無くなるかも。もう少し悩ませて…」と言っていました^_^。何が正解かはありませんから、ほんとにそれぞれで良いんですよね。

チーが病気になって、どれだけ望んでも身体は変わってあげられない…という、当たり前過ぎることを痛感しました。もしもの時は突然やって来ます。病める時も健やかなる時も…って、結婚する際に簡単に(?笑)誓いましたが、それって凄い言葉だよなぁ…^_^。

家族がみんな心身ともに健やかなる時、それぞれの人生が順風満帆なる時には、お互い優しくいるのは難しくありません。が、誰かがピンチの時にお互いが相手のためにやれる事を探して、支え合えるかどうかで、何か大切な事を試されるのかもしれませんね。


どーもどもっちゃって2 〜学校生活について〜

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△はりきりニイニとお付きのチー^^。

 

さて、先日ニイニの吃音について書きましたが、その後の動きを報告します。まず、時間を作って頂きたい旨の手紙(ごくごく丁寧な文章で…笑!)と、吃音の本に載っていた先生用の資料を子供を通して渡し、担任の先生に懇談会の後お時間を頂きました。

伝えたい事をまとめておいて、なるべく簡潔に。大変そうだわ…とは伝わったけど、何だかぼんやり終わってしまうのは1番避けたいパターンですからねー^^;。

 

吃音は本人の努力でどうにかなるものではない。

ゆっくり話してごらん、とか、もう一度言ってごらん…と言われても、上手く話せる訳ではないこと。慌ててるからどもるんじゃない、ということ

 

小学校に入って張り切る際(発表や本読みなど)に出やすい。

分かる!と喜んで手を挙げても、初めの言葉が出てこない事が多い。答えが分かっていないのに手を挙げてる、と思われると傷つくということ

 

低学年の悪意のない(?とは言えない場合も…)からかいや真似はトラウマになりやすい

ヒステリックに相手を叱りつけるような気持ちはないけど、わざとしてるんじゃないから笑わないで欲しいこと

 

主にはこういった点ですが、なるべく吃音に関してもオープンにして行きたいと伝えました。つまり、他の生徒から質問されても「そんな事言うんじゃありません!」とはぐらかさないで、吃音っていう症状(とは言わなくても)だから話し終わるまで少し待っていようね…と言うような、なるべく受け入れてもらえるように導いて欲しいと言う事です。

 

吃音者は100人に1人位の割合だそうです。軽い方から会話が困難な重度の方まで色々ですから何とも言えませんが、話す事自体にコンプレックスを持ってしまうと、こじれて行く人も多いとか。

 

今から書く文章は以下の本を読んで私なりの解釈をしたものです。

 

Amazon.co.jp: 吃音のリスクマネジメント:備えあれば憂いなし: 菊池良和: 本

 

Amazon.co.jp: 子どもがどもっていると感じたら―吃音の正しい理解と家族支援のために (子育てと健康シリーズ): 広嶌 忍, 堀 彰人: 本

 

吃音を気にするなってどういう意味?

これはほんとによーく言われる事です(笑)。でも「気にしなければそのうち治るんじゃない?」って勘違いする人も多いと思う…。確かに幼児の頃の吃音は、知らないうちに治っていたというケースもあるらしいですが、「気にするな」というアドバイスは、避けたり無視したりする事じゃなくて、まずはそのまま受け入れよう、という意味。

 

ゆっくり話してごらん、とか、慌てないで落ち着いて!というアドバイスは何の効果もないそうです。何度も言い直しをさせるのは単なるストレスにしかならないので注意が必要です(だって、自分だってそれやられたら嫌ですよねー!)。そういう事を言わない、話したいように話させてあげるのが「気にしない」という意味。

 

また、吃音で悩んだ子供が「僕はどうしてこんな変な喋り方なの?」って相談して来たのを「気にするな、そのうち治る!」と、はぐらかす事とは根本的に違っています。

 

吃音者の家族ができること

どもりたくない…と意識すればする程、自然に言葉が出てこなくなるのが吃音の特徴でもあります。吃音者の話し方だけに家族が注目してしまうと、会話が楽しめないですよね^_^。上手・下手をジャッジするのはコミュニケーションじゃありません。何を伝えようとしてるのか、内容を聞いてあげること。

 

治そうと本人が思っているなら、一緒に治療法を試してみるのはもちろん大切ですが、完治を目指すのは酷だと知っておくこと。親や家族がそこに向かって必死になってしまうと、上手く出来ない事が大きな挫折感になってしまいます。髪を振り乱して車を2時間もすっ飛ばして、さぁあなたの為にこんな所まで来たのよ!結果出しましょうね!…なんて言われたら、、、そりゃ怖過ぎですよー!治りたいよね、スムーズに話したいよね。でも何を言っているのかちゃんと伝わってから大丈夫だよ。という位の肩から力の抜けたスタンスで付き合えたら…と思います。

 

吃音をタブーにしないこと

自分の事なのに、コソコソ深刻な顔で話し合われたら嫌だと思うんです。子供だって、ちゃんと分かるはず。その話題をタブーにしちゃうと、子供にも「隠さなくてはいけない、恥ずべきこと。治さなくちゃいけないこと」と刷り込まれます。

 

理想は本人が周りにカミングアウト出来る環境だそうです。子供の中では何だか分からない、お友達とは違う…つかみ所のない不安な症状でしょう。吃音という名前をちゃんと教えて、あなたが悪い訳じゃないんだよ、と伝えてあげるのも大切だと思います。

 

我が家の吃音オープン会議

さて、我が家の吃音Boyですが、先日お風呂で「何か話しにくい言葉で困ってる?」と聞いたら「はい、げんきです、の「は」が出ないの」と。よく聞くと、出欠の際に名前を呼ばれたらそう答えるらしく、もうすぐ順番だ…と思うと「………は、は、」となってしまう。2人で遊びながら練習しましたが、「こ、ここではうまく、い、くの。おれ、いっつもげんきなんだ、だけど。げんきって言うのが大変なの」と。

 

連絡帳にその旨を記入し、どうしてもらいたい…という話ではないですが、と前置きして、かくかくしかじか…と家での様子をお伝えしました。お風呂で一緒に練習しましたが、いつも元気だそうです。と書いたら、先生から「たしかに出にくそうな時があります。でも顔を見たらニッコリしてるので、今日も元気だね!と笑って次の子供に移ります」と優しいお返事を頂きました。

 

先生はお若くて、吃音の子供を持つのが初めてだそう。聡悟との出会いが今後の教師生活にきっとプラスになると思います(いや、決して上から目線で言っているのではありません…笑)。だって、大人達が多様性を認めないで、子供に「いじめは良くない…」とか言葉を重ねても説得力がありません。人と違うこと、少しフォローがいること、工夫をしながらコミュニケーションを取ること、どれを取っても社会で必要なスキルですよね。

 

今日の食卓で「吃音の人ってどれ位いると思う?ちなみにチーちゃんの病気は2万人に1人。学校で言うと20校に1人位なんだ。そう君みたいにお話する時につまっちゃう人はね、100人に1人位なんだって。ちょうど1年生に1人位いるんだねー」と話しました。

 

実はお風呂で隣のクラスの男子に真似されてからかわれた、と話して来たのです(この件に関しては連絡帳に書きました。叱って欲しい訳じゃなく、学年に周知してもらった方がいいな…と)。今日は我が家にとってちゃんと話をする機会でした。「からかって来たら、おまえかっこ悪いなぁ!って言ってやんな」と言ったら笑っていました。ママは人と違う事を笑ったりからかったりするのは1番かっこ悪いと思ってる。きっと、そう君はそんな事しないし、そういう事されてる子がいたら守ってあげられるよ。かっこいいねぇ!

 

それに、ママこないだ先生ともちゃんと話したよ。…と言ったら「せ、せんせい!知ってるの?」と思いがけずに嬉しそうな顔をしました。もっと早く話してあげたら良かったな…と反省しつつ、「先生は学校でのお母さんだと思って、何か嫌な事あったりしたら話してねって。忙しそうだったら帰ってからママに話そう。それにね「お話する時に詰まるくらい、ぜーんぜん大丈夫ですよー!!聡悟君大好きですー!」って言ってたよー」と伝えたらすごく安心したようでした。やっぱり学校は緊張する場所だったんでしょうね。味方がいる、と思えるのは大きな力になると思います。

 

チーちゃんが病気をして、その前のチーちゃんと何が違ってる?病気をしないに超した事ないけどさ、病気になったのはチーちゃんが悪い訳じゃないし、治っても治らなくても同じ可愛い妹のチーちゃんじゃん。それと同じなの。そう君が上手くお話出来ない事はそう君が悪いんじゃないんだよ。同じママのかっこいいそう君なんだ、分かるかな?

 

その時ははにかんで聞いていましたが、改めてベッドで「おれ、どうして、こんな、しゃべり、かた、なの?」。きっと彼なりにぐるぐる考えていたのでしょうね。「それがさー!ママも最近めちゃくちゃ勉強してるの。ちょっとした吃音博士だよ!でもねぇ、めちゃくちゃ頭のいい博士がいっぱいで考えても、原因が分からないんだって」「おれ、でも、なおる気がしないな」「うーん、いきなりスラスラお喋りになるのは難しいかもしれないね。でも、ゆっくりでも何を話したいのかが伝わってたらいいと思うんだよ。もし練習出来ることがあったら教えるね」と言うと、安心したみたいに寝たのでした。

 

はっきり言ってしまうと、色んな本に「完治を目指さないで共生していくべき」と書いてあります。それも一理あるのですが、絶対に治らないものだと認める必要もあるのかな?…と。まぁ治っても治らなくても、卑屈にならないで彼らしく人生を楽しめたらいいな…と思っています。

 

こうやって距離を置いて考えられるのも、チーの難病のおかげかもしれません。彼女の病気に置き換えたら、何でも認める気になりますよねー(笑)。世の中、しゃーない事がいっぱいなんです。こないだ「チーちゃんも病気だって言うのに…お兄ちゃんも吃音なんて、あなたも大変だね」というような事を言ってもらったのですが、どうも大変さにピンと来ないのは、私が楽天的だからでしょうか…??

小児MGの診断から1年!

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△大号泣のあとの余裕の表情です。
 

今日は記念すべき、診断名が降りてからちょうど1年の日です。多くの人達の応援のおかげで、元気にこの日を迎える事が出来ました。本当にありがとうございます^_^。

 
去年の今頃は、一日中検査検査で疲れて寝たチーを横目に、明日からの家族のスケジュールで頭がいっぱいで眼が冴えていつまでも眠れなかったのを覚えています^_^;。
 
家族が揃ってから診断名を伝えます、と言われて、パパが病院に走り込んで来たのが9時過ぎ。それまでは悶々と時間が過ぎて、先生の話をやけにシンとした心で聞いたのを思い出します。
 
言うなれば私たち家族が、日常からポーンと放り出された記念日ですね(笑)。
 
あれから1年…。4月に発症、投薬、進行、5月パルス、6月退院。8月再発、再パルス。退院からの再発が早過ぎたので、正直、この冬を入院なしで越して、無事に1年目を迎えられるとは思っていませんでした^_^。
 
この1年は私にとっても、今までの生涯で1番濃く、1番ぐるぐる考えて、その分成長出来た年だったと思います。自分だけではどうにもならない「困る」という事を知り、助けてもらった経験は、今後の人生を左右しかねない大きな出来事になりました。
 
これからも、毎日の投薬や月に2度の鍼灸院、視力検査や定期検査、一つ一つをクリアしながら、チーは大きくなっていきます。
 
細々と始めたこのブログが、誰かの小さな希望の光になりますように。チーの元気な(この場合病気じゃないって事じゃないんです。健康でも元気じゃない人はたくさんいる…笑)姿を見る事で、明るい気持ちになる方がいらしたら、とても嬉しいです^_^。
 
さぁ、この1年。幼稚園の入園までもう一踏ん張り!鍼灸治療も頑張ろうね、チー。

どーも、どもっちゃって 〜吃音ニイニの入学式〜

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 △ニイニ大好き…!

 

先日ニイニの入学式がありました。季節外れの寒さに震えながらの、花曇りの4月6日です^_^。いつも絶対的権力者である口の立つ姉とマニアックな病気を抱える妹に挟まれた6歳のニイニ(それだけでも同情の余地は大有り…笑)ですが、4歳後半位から吃音が出始めていました。

 

言い始めが出ない「………ぼ、ぼ、ぼくは…」や、一生懸命言い訳しようとする時に「だだだだだだだっっって!」など、連発性と難発性が混合したいわゆる「どもり」です。

 

私も気にはなりつつも、漠然と入学までは様子を見ていて、その間良くなったり悪くなったりを繰り返していました。そろそろどこかに診てもらわないといけないかなぁ…と思っていた所、今回、尊敬するお友達のAちゃんが彼女の友人である言語聴覚士さんとお話しする機会を作って下さいました(Aちゃん&子守りに参上してくれた、これまたAちゃん、ありがとうー^_^)。

 

私の中で、診てもらうまでに時間がかかった理由としては、

 

・相談した先の方と相性が悪かったら、良い影響にはならない気がする

・初めての場所が嫌いな息子が喜んでついて来るとは思えない

・どこに相談に行ったら本当に彼の為になるのかが分からない(吃音を治さなくてはならない物だと思わせたら圧迫感があるかも…) という所です。

 

そこで言語聴覚士さんに上のような内容をざっくばらんにお話させていただきました。息子が遊ぶ様子(喋る事も含めて)やコミュニケーションを見て、

 

・本人に(今の所…)話す事に対するコンプレックスがないように見える

※繊細なタイプで、笑われるかもしれない…と心配して口数が少なくなる子も多いようです。

 

・話せていた経験もあり、筋肉などの問題ではないように見える

 

これらの事から、本人が気にせずに生きて行けるなら、それはそれで個性と考えていいと思う、とアドバイスをもらいました。これから聡悟の様子を見ながら、本人と相談して「ことば教室」などの療育を受けるかどうかを決めて行こうと思います。

 

話の中で「吃音のリスクマネジメント(菊地良和/著・学苑社)」という本を勧められたので、早速図書館で借りて読んでみました。 これは元吃音のお医者さんが書いた本で(しかし研究者の殆どが元吃音の方です…笑)。吃音者の治療法を探すより、周りの聞き手が吃音者を受け入れるべきだ!と強く主張しています。そもそも吃音は、原因も治療法も確立されておらず、いわばチーの難病と同じような複雑怪奇なものなのです^^;。

 

周りの聞き手に理解してもらう為の具体的なアドバイスや、吃音者という事を受け止めてどうやってハッピーに生きていくかに重点を置いてあって、とても興味深かったです。

 

そっか、吃音者は自分の吃音自体が辛いんじゃなくて、自分の話を聞く時の周りの反応が辛いんだ…と、目の覚める思いでした。病気と一緒なんですよね。その病気自体が魂を曇らせるんじゃなくて、それが連れてくる、周りとの違いによる疲れやストレスが一番の大敵なんですよね。

 

チーの病気はそのまま受け入れたのに、聡悟には吃音が治って完成みたいに思ってた所があったかもしれない…と、柄にもなく(?笑)反省しました。やりたくなくてもそうなってしまう、身体に染み付いたクセみたいなものなんですよね。

 

吃音があるからって、からかわれるとは限らないし、コンプレックスになって無口になるとも限らない。彼の可能性が小さくなるような気がしていたのは本人じゃなくて親の方だったんですね。みんな違ってていいんだよ、なんて思っていたのにね^^;。

 

1番理想的なのは、本人が周りにカミングアウト出来る環境だそうです。「理解してもらった、認めてもらった」という経験が何よりも必要で、最近どもらないな…というのは、話す事自体をしなくなっている可能性もあるとの事でした。なるほど、親はどうしても聞いてて気になってしまうのですが、どもりつつもおしゃべりを楽しんでいるのは良い兆候なんですね^_^。

 

吃音者に言ってはいけないNGワード「もっとゆっくり、落ち着いて話したら?」とか、「慌てないでいいんだよ」も随分言ってしまっていた気がします>_<。ゴメンね、聡悟! 本人には慌ててるつもりも、早口のつもりも無いんですよね。つまるけど伝わってんだから待っててあげたら良かったんだ…。色々と反省然りですが、転んでもタダでは起きない、が私のモットー☆分かって良かった、と思う事にします^_^。何事も遅過ぎる事はないんですよね。

 

先日、寝る前に上の娘がかんしゃくを起こし(まぁいつもの事なんですが…笑)、パパに「そんな態度なら一緒に寝なくていい!ソファーで1人で寝ろ!」と怒られた時の事。ベッドで聡悟がどもりどもり、「マ、マママママ…ママー。い、い、いくちゃんが心配で、ね、ね、ね、ね、寝れない、ぼく」と囁きました。

 

あんなに八つ当たりされて酷い目にあってるのに…君は優しい男だねぇ!と抱きしめながら、吃音が気になって話の内容を聞いてくれない事に1番傷つく、という吃音者の方の話を思い出しました。そうなんです、言ってる内容を聞いてあげないといけないんだ!

 

この本の巻末には親切に、学校の先生に提出出来る吃音について分かりやすくまとめた資料が付いています。早速コピーして、手紙と一緒に明日提出してみようと思っています。顔を合わせて先生にも一言ご挨拶しておけば、色々気になる事も相談出来るかな、と。

 

聡悟との出会いが、もしかしたら先生の吃音者との関わりを変えるかもしれないし、そうなったらいいな、と思います^_^。

東京眼科検診会【思うこと編】

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△前日のハードスケジュールに、ディズニーランドで爆睡するチー^_^;。

 

さて、前回は診察会の内容についての記事でしたが、今回はそこで思った事をまとめておきます。常日頃、患者・家族とお医者さんって遠すぎませんかー⁉︎…と思っていた私にとって、その会での座談会はとても興味深いものでした。

 

同じ病名が降りた患者家族と言っても、その一人一人、通って来た道も出会って来た医療も、また病状のシビアさも全く違います。

 

診断が降りるのに時間がかかってしまった方、合うお薬がなかなか見つからずご苦労された方もいらっしゃって、どのお話も他人事ではありません。でもそこに先生が加わるだけで、医療の現場にいる先生も同じ人間なんだ…という(当たり前過ぎる(笑))事に、コミュニケーションへの努力はお互いに必要だな、と改めて思いました。

 

世間ではお医者さんに傷付けられたりする話も多い中、参加の先生はとても大御所の大先生なのですが、本当に真摯に患者家族の悩みに耳を傾けて丁寧に答えようとする姿勢をお持ちで、泣きそうになりました。どうか、お医者さんを忌み嫌っている方々には諦めないで欲しいなぁ。

 

誰だって主婦とかサラリーマンとかって肩書きや職業だけ見て「どうせ◯◯でしょ?」とか言われたらムカっときます(笑)。医者なんて…って一括りにしないで、患者家族と向き合う事は、医者であるあなたにも得るものがあるはずだ、と胸を張って付き合って行けたら良いですね。

 

だって患者や家族は、生きる為に文字通り「必死」に病気について勉強してますよー(笑)。先生たち、耳を傾けて一緒に戦った方が得策だと思うんだけどなぁ!

 

また、東洋医学に興味を持ってらっしゃる方も多くて、それについての情報の少なさや、興味を持ちながらも浸透して行かない難しさも感じました。このブログが何かのヒントになれば良いなぁ…と願うばかりです。

 

そして、何より今回の企画をして下さった患者の会の方々。企画を立てるところから会場の手配、先生とのやり取り…本当に頭が下がります。そして当日は、たくさんのお手伝いの皆さんが温かく子供達を見守って下さいました。

 

深刻な顔の大人の周りで走り回っているのはみんな患児やその兄弟たち^_^。子供達が退屈しないように、様々な工夫をして下さっていて胸が熱くなりました。

 

難病の子供達と言えば、一般的にはかわいそうな括りに入るのでしょうが、いわば他人に、こんなに優しく健やかさを願ってもらえるなんて、今みたいに核家族化した時代では、健康で当たり前の人にはなかなか得難い体験かもしれませんよね(笑)。

 

このチーの紛れなく幸せな感じ!人は何をもって幸せと不幸せを決めるのか…なんて、珍しく哲学的(じゃない…笑⁉︎)な事を考えてしまいました。

 

関係者の方々には、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。本当に有難うございました^_^。

 

次の日には長女待望のディズニーランドに行ったのですが、それについてはまた後日ー^_^。

東京眼科検診会【内容編】

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△ニイニに会ってこの笑顔…^_^。ホッとした顔してるなぁ。

 

3月21日(土)、東京で開催された患者の会主催の小児MGの為の眼科検診会&講演会に参加して来ました。今回他の家族とは別行動。東京のディズニーランド近くのホテルで夜に落ち合いました。

 

チーの病気である小児MGは神経伝達の自己免疫疾患なので、眼科の中でもちょっと特殊なのです。また、年齢が小さな頃に発症する事も多いので、視力検診が難しかったり、眼科の先生によっては(専門外になるので仕方ない所もありますが…)筋無力症の存在に気付かなかったりするケースもあります。

 

結果、ものもらいかなー?目の充血はないねぇ、なんて呑気に目薬注しながら何ヶ月も様子を見てるうちに進行…と言うのは、本当にあった怖い話です☆

 

小さな頃のMG発症で1番心配されるのは、このブログでも何度か書いていますが、MGの特徴的な症状である、斜視や下垂などによって立体視が上手く出来なくなったり弱視になってしまう事です。

 

今回の診察会は、小児MGで皆さん悩まれている眼科的な事を専門の先生に聞く事が出来る、また、実際に診察していただける大きなチャンスです。MGは神経の伝達の問題なので、普通の眼科と違って神経眼科が専門です。

 

チーは、なんという事でしょう⁉︎…そのせっかくの専門の先生の診察の時にギャン泣きで(T_T)、どうしても診てもらえず。まぁ良いんです、仕方ないんです^_^;。わざわざ東京に来た、とか彼女には関係ないですしね(笑)。

 

その後に患者家族と専門の先生方を囲んでの、ざっくばらんな座談会をして下さって、それこそが今回の目玉と言えたかもしれないです(チーは診察させてくれなかったし…笑)。

 

そこで質問が出て、かなり活発なやり取りがあったのは筋肉反射テストについてで、麻酔の有無(参加のN先生が仰るには、原則子供の筋肉反射テストに麻酔はなし!麻酔なしで子供に筋肉反射テストが出来る医者がいない事が問題…)については、かなりどよめきが起こっていました(まず私がどよめいた(笑))。

 

チーも退院の度に筋肉反射テストを麻酔で受けていましたからねー!これに関しては小児MGの共通認識にしていただきたいなー。そもそも、難病の診断が降りたら、その病名でカルテを登録して、そこから共通の情報を必ず得なければならない!というくらい、強いしばりが欲しいです。

 

あんなに高価な診断書、患者のために使われてないなら意味ないでしょー(笑)?保険の適用とか難病の申請とか、詐病を防ぐのは、患者の為ではないですよね!

 

今は何もかも先生任せなので、適切な治療を受けているのかどうかが分かりにくくて。先生が勉強熱心かどうかにかかってるなんて…運による医療格差を感じてしまいます(T_T)。

 

続きは次回の【思うこと編】で…

鍼灸院を続ける為の話し合い

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△大好きなニイニとお花見散歩^_^。
 
子供たちには楽しい春休み、ママにはドタバタの忙しい季節ですが、みなさんお元気ですか?
 

チーはおかげさまで冬を無事に越して名古屋では桜が満開になりました^_^。入院をしないで桜を迎えるのが小さな目標だったので、ほっと一息といった所です。

 
さて、昨年の6月から続けて来たチーの週に一度の鍼灸院ですが、最近の彼女のすごい抵抗を受けてちょっと考えました。
 
以前こちらの記事

hamaneko13.hatenablog.com

にも書きましたが、いくら小さくても彼女の身体は彼女のもの。この病気と付き合って行くのもチー自身なので、治療に関してや薬について(分かるかどうかは別にして(笑))、何か変わる時には必ず説明をして来ました。
 
そういう訳で、チーと鍼灸治療を続けるための話し合いをして、
 
・痛くて怖いのはよく分かっていること
・でも病気には効いていること
・幼稚園に行くまでのあと1年頑張ること
・週に一度だったものを隔週に減らすこと
 
を伝えました。症状も安定しているので、隔週に減らしても大丈夫…との先生の見解もあり、また症状に問題が出て来たら週に一度に戻す事になりました。
 
チーもその場では神妙に耳を傾け、納得はしてるのです。ただ、先生が鍼を持って近付いてくると今日も逃げ出しました^_^;。いや、理屈じゃないんですよね、怖いんですから(笑)。
 
発症からもうすぐ一年になります。あくまでチーを見ている私の感想ですが、ステロイドの副作用フォローに関しては、うまくコントロール出来ている気がしていて、もう一年は頑張って続けたいのです。
 
発症から2年を眼筋で抑えるのも目標の一つなので、幼稚園前のこの一年をなんとか無事に過ごしたくて…^_^;。
 
嫌がってるのを分かっていて、また、抵抗する身体を抑えての鍼灸治療は親子ともに心折れそうな時もありますが、ステロイドとのお付き合いが必須のこういう病気は、日常生活がずーっと治療の途中ですからね…^_^;!
 
きっといつかは笑って話すんだ…と思いながら、あと1年頑張りまっす☆
 
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△オマケの、暴れすぎてぐちゃぐちゃ放心チー☆

3.11に思うこと

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3月って…まだこんなに寒かったんだよなぁ、と毎年思います。そして、卒業や入学の、それぞれ思い出深くなるはずの季節。

明日も知れずに過ごした日々、本当に心身ともに寒かったでしょう。入院で2ヶ月家を空けただけでも、狭いながらもベッドがあって空調が効いてても、やっぱりとてもストレスです。

いつ終わるか分からないままの避難所暮らしがどれだけ大変だったか…と、チーが入院してから何度も思いました。そして、まだまだ大変な思いをされてる方がたくさんいらっしゃると思います。

現地の要望にきめ細やかに応えられるような仕組みを見せて「忘れてないよ…!」と伝えられたら、と願うばかりです。

田舎でゆったり暮らしていた方々の、狭い仮設での4年は長過ぎます!どうか1日も早く、それぞれらしく笑ったり泣いたり走り回ったり出来ますように。

小さなネットワークから、大きなプロジェクトまで色んな形で繋がって、支援する・される、じゃなくて、双方実りある関係になれますように。

そして子供たちが、勉強したい事を自由に学べて、なりたい自分に近付いて行けますように…!

大切な故郷や、愛する人々を失った方たち。何年たっても悲しみが消える事はないでしょうが、空に帰った人々は残されたみんなの幸せを何より願っていると思います。毎年、出来ることを一つ一つ、私も丁寧にやって行かねば…と空を見上げます。どうか、安らかに。